1595年(文禄4年)の大航海時代、日本を著した地図です。
徳川家康や豊臣秀吉が生きていた時代、ポルトガルなど一部の外国人は通商を求めて日本にやってきて、測量をし情報を集めて地図をつくった。その房総半島に“Ava”とあるのは“安房”=現在の千葉を示す文字。安房国はしっかり認識されていたのですね。
帆船乗りから見ると房総半島の内側は魅力的です。なぜなら半島の出っ張りに入り込めばそれが壁になり、天候が崩れても外海の荒い波や風に晒されないですむのです。船乗りはホッとするからでしょうか、「ブランケットに入る」と表現します。
南房総ライフ、3月末におこなった作業は、掘立小屋の30年前からほっぽらかしだったゴミを出し、埃をはらい拭き掃除。小屋の裏手に木製テーブル&ベンチを組み立て、小さな畑を整えました。某日、朝飯前に掘立小屋からマウンテンバイクで蜜柑畑のなかをクネクネと続く道を上ること30分ほどで富山(標高349m)にアタック。最後は階段なので押し上げ。光る海と房総の山々が一望できました。畑仕事をはさんで午後は探索半日サイクリング!
掘立小屋がある南房総「吉沢」から沢又薬師がある県道で西に向かって里見番所跡があるT字路(バス停「松尾商店」)、左折して88号線で少し進み右手に見えた桜並木へと田んぼ農道を使い平久里下川へ。左岸をたどり里山の路地を野生の勘で走り抜け、南下して「犬掛」へ至る。ちなみに犬掛には、犬掛け御堂、犬掛古戦場跡、八房公園(八房と狸像)がある。
「犬掛」から山間の細い九十九折れ(県道185号線)をアルバイトして「富浦町大津」に出る。等高線に沿うように刻まれた林道のような道は深い沢と、おびただしい杉の倒木でおそろしい。交通量ゼロ!
花の香りが素晴らしい「道の駅おおつの里 花倶楽部」があります。埋蔵金伝説のある宮本城址は次にアタックすると決めて先を急ぎます。右手にあるトンネルを3つほど抜けてどんどん下っていく。蘇鉄、びわ、蜜柑などの樹、色とりどりの花が咲き競い、亜熱帯の植生がステキ。JR内房線の軽自動車がやっとくぐれるガードを潜り路地を縫い「南無谷」の海へ。左手は大房岬でブランケットの入江。潮騒とトンビの鳴き声。
メインロードを避けて海側にある小さな素掘りの隧道をたどり遠浅の岩井海岸に。雲行きと風が怪しくなったので急ぎ89号線で「吉沢」に戻りました。それにしても南房総、ディープで素朴な地域です。