9月22日(土)AM4:00、東京・日本橋。
雲間からわずかに星の見える夜明け前、赤信号が青に変わるのを待つ12人がいた。 今年で創立75周年を迎える港サイクリングクラブ(M.C.C.)の“第6回東京-直江津ラン”参加者と友好クラブ員12人の面々だ。
信号が青になると一団は国道17号経由で約300km先のゴール、直江津を目指して軽やかなペダリングで滑り出した。1949年に誕生したM.C.C.こと港サイクリングクラブは英国式スタイルを標榜する組織。1946年創立の日本サイクリスツツーリングクラブ(N.C.T.C.)が最近に一旦解散(新体制で活動)した現在、アクティブなクラブ組織の最古参だ。
老舗クラブの平均年齢は60歳代と高い。友人のR氏は54歳にして若手と呼ばれる。その本人から、「直江津の練習で碓氷まで走ったらヘルメット割っちゃった」とつい先日、電話で落車報告があった。 おいおい、血気盛んじゃん。 coppiは彼の練習成果を見届けるべくスタート地点に出向いた。紅一点のM子さんも海外ブルベでも愛用の反射ベストをまとって準備万端。
スタート前、名誉の負傷をアピールするR氏
3時間ほど経過しポツリポツリと降り始めた雨のなか、73.5km地点の第1コントロールに先頭到着はR氏。その2分後にM子さん。バナナ、おにぎり、水などが用意されていたが、両人ともチェックを受けて滑り出す。栄光のMCCが気を吐いたのはここまで、やがて碓氷峠でMCCのR氏やM子さんは先頭グループから遅れ出してゆく。
天候は軽井沢では晴れていたが強い向かい風で、上田〜豊野にかけてはペースが上がらず。そのために黒姫〜妙高の通過も例年より遅れて、直江津までは豪快ダウンヒル区間のはずだが夜の暗さと雨のダブルパンチ。パンクする人も3人いた。
116km地点コントロールで他クラブの健脚や若手が台頭。300km先の直江津に先頭フィニッシュを飾ったのはMCCのK氏、ヨコハマサイクリングクラブのO氏、MCCのS氏による3人の小集団で所要時間は15時間半。R氏は20時間、M子氏は20時間半だった。
日本のサイクリングクラブの嚆矢は、明治26年(1893)年に自転車好きな財閥系や慶應義塾出身の富裕層、東京大学自転車会の有志が結集した「日本輪友会」だ。同時期に「大日本双輪倶楽部」も創設された。輪友会、双輪倶楽部に続いて関東だけでも20以上のクラブが結成され、それらは “遠乗り会”か “競争会”のどちらかを主体として活動した。明治34(1901)年には日本女子大学に自転車部が設けられた。世界中のクラブは、仲間と一緒に走ることで、絆を深めつつスキルと力を蓄える。それはツーリングでも、レーシングでも普遍の図式。
インターネット時代になり、21世紀を迎えて、組織としてのサイクリングクラブは存在感を薄めている。先輩から後輩へと伝承されるスキルは探せばYouTubeやサイクリング関連ブログ記事で安易に拾える。走る仲間はネットで呼びかければ繋がることもできるが、刹那的。それが今なのだ。
MCCは1970年代まではレース活動が盛んで、長距離耐久ランでは輝かしい金字塔を立て続けに打ち立てた。立役者は会員番号225の橋本治さんで、自転車雑誌のグラビアスターだった。
東京-直江津ランは2004年が第1回で5年ごとに開催してきた。「Hくん(橋本)は今回参加できなかったけれど毎回走って健脚だよ。でも毎回30分ずつタイムが遅くなっているよ」と、MCC会長の植原郭さんが笑う。ご自身もここ数年は大好きなカメラを携えて公共交通機関を駆使してクラブラン撮影に専念するのは健康状態のためだ。それでもアクティブ。老舗クラブは心意気盛んだ。