「甲子園に来ませんか?」と友人に誘われた。 元高校球児で自転車競技審判仲間、例年連泊してライブ観戦する猛者。「阪神甲子園球場が100周年なので、1924年当時のレシピをアサヒビールが再現した特別なビールが球場限定で飲めるんです」の誘惑。あらがえなかった。
じつは野球にほとんど興味ない。で、まずは球場にある『甲子園歴史館』 で野球の見聞を深めるため決勝戦前日、阪神電車で甲子園駅に降り立った。蔦に覆われた球場がホームから見えた。なぜか、名刹を訪ねたような気分。
高校野球の端緒は1915(大正4)年の「第1回全国中学校優勝野球大会」で大阪・豊中グラウンドで開催。甲子園歴史館のパネル展示では、朝日新聞社長が羽織袴姿で始球式に臨んでいた。
画像©︎甲子園歴史館
1924年以後、毎年3月末から4月にかけて全国選抜中等学校野球大会(現在の春の甲子園)を毎日新聞社が主催。中等学校野球は、春は毎日、夏は朝日と二大新聞社が競争で大会を実施するに至った。1936(昭和11)年にプロ野球が誕生するまでの日本野球は中等学校野球と東京六大学の野球に代表されていた。中等学校野球は第二次世界大戦後の学制改革で高校野球となった。
新聞社によるスポーツイベントはツール・ド・フランスと同じだが、違うのは、高校野球はアマチュア精神、ツールはプロスポーツという点だ。
阪神甲子園球場は2007〜2010年にかけてリニューアルされて、LED照明や雨水再利用など施設はSDG’sな取り組みが貫かれた球場。一時期は甲子園のシンボルである蔦がない時期もあったそうだ。
高校野球は教育的、というか体育的感覚が指導者・選手・観客(保護者)にも染み込んでいる。そう感じたのは『甲子園歴史館ツアー』(2.000円)に参加したとき、お客さんたちの一部が球場のインフィールドやブルペンを見学してから観客席に戻る際、ごく自然にフィールドに振り返り、姿勢を正して一礼したのだった。礼儀。そういった作法は熱心な高校野球ファンには当たり前のようで、「子ども時代からの習慣」とは友人の弁。
甲子園歴史館の展示物でまず目についたのは歴代名選手たちの機材。 野球といえば、バットとグローブ。日本に野球が上陸した当時、それらは輸入品だったが、すぐに国産化が図られた。20世紀までのサイクリングと同様、職人によるオーダーメイドがもてはやされた。専門メーカーからはプロ野球選手のシグネーチャーモデルも発売された。サイクリング機材と同じだなぁ。
決勝戦は朝10時から。特別レシピのビール目的で来たが、偶然にも地元東京が京都の高校と対戦するゲームなので観戦気分がアガルアガル! 指定席(ネット販売で全席指定4.200円)に陣取り、まずは売り子ガールを探索、いた、いた、発見!! 白を基調とし、ゴールドと紫をあしらった限定ビール売り子ユニフォーム。手を振ると笑顔で応え、記念コップに背中のサーバーからていねいに泡立ちをコントロールして注いでくれた。コップ表面に冷たい水滴びっしり。
飲んだ第一印象は、爽やかな香味が鼻腔に抜けるピルスナー。冷え具合も売り子の笑顔と相まって気持ちEE〜!! 美味しく飲むには温度も重要。ちなみに水は体温より 20~25℃低いのが好ましいとされている。仮に体温が36度Cなら16〜21℃。しかしビールの冷やし具合は違う。一般的なラガーは6〜9℃、香りがあるエールは7〜12℃、芳醇なスタウトは12〜15℃が通説、個人的にはスタウトは常温よりやや低め程度だが、夏の甲子園球場は酷暑ゆえ、通説どおりの冷え冷えがウマイ。
その美味さを後日、医師に語ったら「そんな暑さでビールを何杯も飲むなんてダメ。ビールと同じ量の水も飲むべき」と、脱水症の怖さを説諭された。ヘン、あんたには“QOL”(Quality Of Life)って言葉をお返しするよ。
彫像は敗者を描いた阪神甲子園球場100周年の宮瀬富之作「主役は君だ」
教育的イベント観戦でビール(アルコール)が飲めるのは、特別なことだという。そうかも。ゲームは延長戦にもつれ込み、東京は惜敗だったが、coppiの甲子園は最高のトリップだった。
参考サイト 日本大百科全書(ニッポニカ)「高校野球」
https://japanknowledge.com/contents/nipponica/sample_koumoku.html?entryid=1574