ルシアン・ジュイ(1899年〜1976年)はシクロの成功に発奮し、1928年(昭和3年)にフランスのディジョンで変速機の製造に着手した実業家。ブランドをサンプレックス=単純(Simplex)としたのは複雑なシクロに対する皮肉だ。
専用ステーを溶接しなければならないシクロに対して、車軸に取付けるだけのサンプレックスはあっという間に人気を博した。レースを宣伝媒体とする営業方針を貫き、1985年までフランス部品の中核的存在だった。革新性に優れ、1936年に3/32インチのチェーンを5段で採用。1962年に変速機本体に樹脂素材(デュポン製デルリン)を採用。革新者である。
初期のサンプレックスのライバルは、「スーパーチャンピオン」だった。その商業者は有名レーサーだったスイス人のオスカー・エッグ(1890年〜1965年)で1914年(大正3年)のアワーレコードで44.47km/hの記録保持者。1932年に変速機「スーパーチャンピオン」を発表。イギリスの提携先コンストラクター社と提携してオスカーブランドでも販売した。
単純な構造のために模倣品も多く、シクロやサンプレックスさえも模倣品を出すほど売れ行きは好調だった。1937年のスーパーチャンピオンには、ツープーリーのツーリングタイプも販売。しかしレースでは使われなかったようだ。
話をサンプレックスに戻そう。1931年(昭和6年)に登場した最初の「サンプレックス」は1つのプーリーが変速とチェーンテンションのふたつの役目を果たしている。動作性は劣っていたが、重量は150gしかなく、車輪交換が容易なので31年から34年の3年間のレースで100勝以上の実績をあげた。ライバルのスーパーチャンピオンよりもワイドギヤが使えることがメリットだった。
実際の動きはどうか? シングルプーリーの変速動作は、いったんペダルを止めて、ゆっくりとレバー操作をしないと、すぐにガチャガチャとチェーンが歯飛びしてしまうとの由。とくにトップ側で顕著で、お世辞にも使い勝手はよくなかったという。
同時代、フランスでは「ユーレー」も軽量なために人気があった。
ちなみにアンドレ・ユーレー(1891年〜1964年)はフランス人で元レーサー。1920年(大正9年)よりウイングナットを製造していたが1930年(昭和5年)からレース用変速機を製造。しかし80年にはドイツのザックス社に買収され、97年にアメリカのスラム社が吸収して、今はヨーロッパでのスラムの一部門となっている。
余談だが1927年、23歳の選手であったトゥーリオ・カンパニョロがイタリア北部の標高3000mの山々が連なるドロミテのクローチェ・ダウネ峠で、寒さで後輪のウイングナットが外せなかった経験から、1930年(昭和5年)にレバーの起倒だけで外せるクイックレリーズを発明したことは有名な逸話。そのカンパニョーロが変速機を造るのは第二次大戦後(46年)まで待つことになる。
ルシアン・ジュイ(1899年〜1976年)は変速機のスタンダードな規格や新素材の追求をした革新者!
変速機コラムは六城雅敦さんがCYCLE SPORTSに2017年6月号から2019年8月号まで25回連載した「変速機を愛した男たち 温故知新」をベースにしています。©️六城雅敦、リライトcoppi。