かつてパネルが勤めていた銃製造会社リーボリーエ・ペール・エフィール(RPF)の自転車部門を率いていたアルベール・ランモンは、パネルの成功を目にしてブーリエの協力のもとに自らの変速機「シクロ」製造に乗り出した。ランモンもまた、変速機の伝道師ヴェロシオを敬愛するツーリスト仲間だ。
ヴェロシオが77歳のとき(1930年)、交通事故で亡くなると、ランモンはヴェロシオの雑誌ル・シクリスト誌と自転車工場を買い取った。先駆者であるが供給が不安定なパネルのル・シュミノーに代わり、ル・シクロがツーリング用変速機としての地位を確立していった。
ランモンが編集するル・シクリスト誌によって変速機シクロはツーリストの絶大な信頼を得ていった。確実に作動する二本ワイヤー・ヘリコイド方式のシクロは1925年(大正14年)から50年代までの長きにわたり人気変速機として普及した。フランス生産のシクロに対して、英国生産のシクロもあってそれはコヴェントリー・シクロだ。
「シクロ」は1960年代まで日本のランドナーマニアにも好んで使われた。
変速機コラムは六城雅敦さんがCYCLE SPORTSに2017年6月号から2019年8月号まで25回連載した「変速機を愛した男たち 温故知新」をベースにしています。©️六城雅敦、リライトcoppi。