ツーリング変速機の伝道師ヴェロシオに共感し、弟子のブーリエは「ツーリングにこそ信頼できる外装変速機が必要」という信念を受け継いだ。
第一次大戦が終結、人々がレクリエーションを欲し始めた1923年(大正12年)に、ブーリエはキャンプツーリングの愛好者団体(FFSC)を立ち上げた。彼の功績でフランスではテントを積んだキャンプツーリングが流行し、タンデム車も一般的になった。
もう一人の弟子であるパネルは、仲良しのブーリエの助けを借りて独自の変速機「ル・シュミノー」(放浪者の意)を完成させた。それをヴェロシオのラ・ゴロワーズ号に取り付け、脚自慢の若いパネルは数々のレースで優勝を重ねた。
パネルは1912年(大正元年)のツール・ド・フランス無所属カテゴリーに出場して一層注目を浴びた。その自転車にはアセチレンランプ、泥除け、キャリヤ・バッグをつけたヴェロシオが提唱するツーリングスタイルのままだった!
パネルの自社ブランド「ル・シュミノー」は1929年(昭和4年)と1930年(昭和5年)にも、ツールの無所属部門で社員のベノア・フォーレがそのメカを用いて優勝している。
「ル・シュミノー」の変速機。この製造会社は後に「ペリシェ」と名称変更され、1980年代までハブメーカーとして存在した。
変速機コラムは六城雅敦さんがCYCLE SPORTSに2017年6月号から2019年8月号まで25回連載した「変速機を愛した男たち 温故知新」をベースにしています。©️六城雅敦、リライトcoppi。