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1937年(昭和12年)にツール・ド・フランスで変速機使用が解禁されると、他のメジャーレースでも選手たちは変速機を使いだした。イタリアでは1909年(明治42年)にはジロ・デ・イタリアが誕生し、軽工業が発展する。

変速機解禁当初にはオスカー・エッグの4段ギヤ、「スーパーチャンピオン」(フランス)とイタリアの「ヴィットリア」が人気を二分した。この頃、最初のパラレログラム方式ディレーラーである「ニヴェックス」 (フランス)も登場した。

当初ナンセンスなことに、プーリーがチェーンの抵抗になるとレーサーたちは考えた。さらに強すぎるテンションは踏力を奪いかねないと、チェーンを弛ませるセッティングを好む選手さえいた。

レーサーたちの思い込みのために、メーカーはキャパシティーの少ないシングルプーリーや、後に漕いで変速するフォーク式を“レーシングディレーラー”と称して販売。

当時はレース中にパンクがよく起きたので、車輪が外しやすいBB下にテンションアームを取り付けるタイプが好まれた。シングルプーリーやフォーク式ディレーラーは、レーシングバイクの象徴とされた。現在では標準的なツープーリーを、“ツーリングディレーラー”として明確に区別して宣伝した。

イタリアでは機械工のアメーデオとトマッソ・ニーデュの兄弟が1930年(昭和5年)から「ヴィットリア」(勝利)という変速機を製造。

32年にはヴィットリアを使った名選手アルフレッド・ビンダが世界チャンピオンに輝いた。1935年(昭和10年)「ヴィットリア・マルガリータ」という変速機が作られた。当時のツール・ド・フランスは国別対抗のチーム戦で、変速機も自国製品を使用する規定だったのでイタリアチームにはこれ以外の選択肢がなかった。

写真は、EroicaのH氏所有のマルガリータ。チェーンステーのV字型パドルが左右に動いて見事に変速した。下の図ではパドルがチェンステー上にあるがこうするとチェーン外れが少なかったようだ。

変速機コラムは六城雅敦さんがCYCLE SPORTSに2017年6月号から2019年8月号まで25回連載した「変速機を愛した男たち 温故知新」をベースにしています。©️六城雅敦、リライトcoppi。

Post Author: coppi