ルネ・ヴィエット 1914年〜1988年
1934年はフランス人が勝った。ツールでフランス人は、20年代はなかなか勝てなかったが30年代に入ると圧倒的な強さを発揮していた。この年も全32ステージ中19ステージでフランス人が優勝している。また、総合優勝したアントン・マーニュも第2ステージに総合トップに躍り出ると、パリまでその座を明け渡すことはなかった。準完全優勝である。だが、ファンの心をつかんだのはヴィエットだった。
ヴィエットはツールの始まる直前までカンヌの高級ホテルでエレベーターボーイをしていた20歳の青年で、大衆には無名の存在だった。最初の2つのステージですでにトップのマーニュから45分も遅れてしまった。しかし彼はアルプスで圧倒的な強さを発揮する。
エクス=レ=バンからグルノーブルへの第7ステージでは優勝候補たちを3分以上引き離して優勝、第9ステージでも優勝候補たちを6分半以上引き離して優勝する。さらに第11ステージでは故郷のカンヌをトップでゴールイン、これまで経験したことのない歓声に迎えられ、総合でも3位に浮上した。
しかし、フランスチームのリーダーはマーニュであり、ヴィエットも自分がアシストであることを忘れなかった。これはピレネーで証明され、同時にファンの心に彼の名前が焼き付けられることになる。
第15ステージ、ピュイモランス峠の下りでマーニュの前輪がパンクした。即座にヴィエットは自分の前輪を外してエースに手渡し、自分はサポートカーを待った。翌日もエースはパンク、ヴィエットは再びホイールを交換し、マーニュはライバルのイタリア人マルターノのアタックをつぶすことに成功した。ヴィエットにとって山岳コースだったのが不運だった。平地の集団の中だったら、他のチームメイトがヴィエットの代わりに犠牲になっただろう。
前輪のない自転車の横に膝を抱えて座り、泣きながらサポートカーを待つ彼の写真は、ツールの歴史を扱った書物には必ず掲載されている。
安家達也氏の名著「ツール100話」(未知谷)をベースに伝説的ロードレースの逸話を紹介。