「ジャパン・パンチ」は幕末の横浜外国人居留地で、発行された風刺漫画雑誌。“ポンチ絵”の元祖として知られている。著者がイギリスの画家でありジャーナリストでもあった。その絵は手塚治虫など日本の漫画家に強い影響を与えました。
その雑誌に登場する自転車が「ラントン」(Rantoone :ラントゥーン)で、手足で駆動する三輪車です。イギリスのビンテージ自転車好き向け「The BONE SHAKER」1990年春号に、 ロジャー・ストリート氏がラントンの記事を書いていたのでそれをタネ本にして解説します。
1863年(文久3年)5 月21 日、サリー州ブラックフライアーズ ロードの機械工ジョセフ・グッドマンがベロシペードの改良に関して特許 (1863年第1280 号) を取得しました。 (特許から転載)これがメカニズムの側面図と平面図。
でもグッドマンのベロシペードは英国の特許に示されているとおりの形状で作られることはなかった。大英図書館の外国特許閲覧室で検索すると<イギリスで発明され特許はアメリカに持ち込まれ、そこで改良され「米国特許第2号」がイギリスに持ち帰られた>そうです。アメリカ特許でグッドマンは、「新しく改良されたベロシペードを発明した」と主張し、”Rantoone”という名称を与えている。「The “Mechanic”」(1869 年 3 月13日)の記事によると、「”Rantoone”は北米インディアンの語彙に由来し、”Flying Waggon”(空飛ぶワゴン)」。 1869 年は明治2年です。
文明開花の明治時代、ジャパンパンチにはこのラントンが描かれたのですが、錦絵にはさまざまな自転車が描かれました。いつ、日本に自転車が上陸したのかは自転車の歴史研究者たちが特定できずにいますが、明治一桁年には入っていたようで、鉄砲鍛冶や荷車職人などが外国製自転車を似せて国産自転車を作ったのでしょう。田中久重、竹内寅次郎などが手がけました。
初期の国産自転車はラントンのように三輪仕様が作られ、貸自転車として用いられたそうです。二輪車は誰でも乗れるものではないからです。
ラントンはイギリスとアメリカで作られ、遊びで走るだけでなくビジネス的な使い方もされたようですが、1870年(明治3年)になるとハイホイーラーが登場し、ボーンシェイカーや三輪車に取って代わられ、一気に衰退したそうです。
ラントンは3カ所の博物館で見られます。主輪には3 つの標準サイズがあるのですが、リッジのブライドウェル博物館 (30 インチ)、ボーリューの国立自動車博物館 (36 インチ)、クライストチャーチ三輪車博物館(42 インチ)と、3 つの標準サイズすべてが保存展示されています。
参考:「The BONE SHAKER」NUMBER122 SPRING1990