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相棒の口癖は、「海で遊んで楽しんだぶんの、ほんの一部くらいは海でお役に立ちたい」でした。四半世紀も前、coppiはしばらく、障害者向セーリングの普及ボランティアに没頭。

尊敬する相棒はヨットエイド・ジャパン代表の故・大塚勝さんで、片足が不自由な会社経営者。周囲の船好き仲間を巻き込み、ロビー活動もし、社会基盤に風穴を空けた。僕は広報担当として寄り添い、遊ばせてもらっていた。

彼のおかげでマリーナ設備がバリアフリー化され、車椅子の人でも船舶免許が受験可能になり、ボランティア団体の税制負担が軽減されるNPO法人制度などの道筋ができた。

 

大塚さんが手本としたのは1986年からアメリカでセーリングプログラムによる障害者の自立サポートをした福祉団体のシェイク・ア・レグです。マリーナのポンツーン(浮桟橋)などの設備から、身体が不自由な人でも操船できる安全設計のヨット建造などを、日本にも実現・導入。

 

最初に導入したのは車椅子から立ち上がる人をイメージしたマークがメインセールに描かれた2人乗り仕様のヨット、“フリーダム・インデペンデンス”。21フィートの艇は第一に復元力・安全性がとても高く、操船するためのカスタムシート(タックにより左右に転回)、ジブシートやメインシートなども操りやすい。後に導入した1人乗り仕様の“2.4m”艇はジョイスティックで舵を操れました。

1990年代、当時は経済成長がそれほど鈍化していなかったので、大塚さんは補助金頼りでなく企業経営者仲間から資金調達。海外遠征では航空会社から無料チケットなど現物供与を引っぱる。設備研究のために産学協同、制度改革のために国会請願と三面六臂。とりわけ人生勉強になったのは人の活用がじつに巧み。笑顔で相手を観察、人の長所・利点が活きるように動かしてしまう。さすが、チェアマン!

90年代中盤は盛り上がりました。アメリカ、イギリス、フランス、ニュージーランドの選手を招待し「ヨットエイド’94東京国際ヨットレース」を開催。後援には厚生省、文部省、外務省、海上保安庁、東京都に加えて海洋雑誌の「舵」、「ヨッティング」、「オーシャンライフ」、笹川スポーツ財団、テレビ朝日福祉文化事業部などがずらり。ヤマハ発動機、川崎製鉄コンティナーJETTYが協賛。

横須賀の軍属が所有する2本マストのアルミヨットで外洋帆走をしたり、1966アトランタパラリンピックでセーリングが公開競技になるのでその前年にニューポート湾での全米選手権に帯同遠征したりと、この時期がいちばん面白かった。

その後、日本の海にあった26フィート障がい者向けヨット開発をした(2024年末、夢の島マリーナ在)。東京大学生産技術研究場と組んで水槽で粘性抵抗、造波抵抗、復元力などを実験し、20〜42フィートの実艇で使い勝手チェック。

 

ヨットエイドジャパンの足跡は、精力的なチェアマンの存在と経済のよき時代がまだ残っていたから成立したのだと思います。

もう一度、大塚さんと乾杯したいものだ。

Post Author: coppi