東京に暮らし、たまに田舎に数日滞在します。
どちらにも長短あるけれど、田舎に滞在したいのは非日常を得られるから。
田舎は房総半島の富津。ちょっと辺鄙な場所を拠点にして家庭菜園と、山間部をサイクリングし夏は海で波と戯れる。たっぷり時間があまるのであとは空を見上げる。
サイクリング関連のことは趣味とライフワークを兼ねているので、自由に動ける残された人生はこれに充てる。動ける身体のためには軽くでもトレーニングは続けるべき。そこでいつも考えるのは都会と田舎の道路環境だ。
信号がない道をただただ走っていたい。願いはこれに尽きる。
東京暮らしの僕が、信号のない道=河川敷(荒川)のサイクリングロードまで移動するには30分ほど交通頻繁な道を使う。それが面倒なときは、近所の坂と見通しのきくいつものコースでダッシュ1回。時間にして前後5分、ダッシュ1秒を義務感に駆られてこなす。
上の写真は房総の山道。どの山も低いから尾根に出るのに30分から1時間あればいい。メインの国道を避ければ信号はほとんどなく、田舎道・畦道・獣道を辿るのもいい。視界に入った遠くの山の鉄塔を目指すのも好きだ。
それに比べて都会の周りに整備されたサイクリングロードは、荒川、多摩川、江戸川、入間川、利根川などどれも東京都に隣接するあたりは人が多いので当然だが気疲れする。自転車・歩行者道路では歩行者優先。徐行もしばしば、仕方ない。
信号がない道をただただ走っていたい。願いはこれに尽きる。
東京郊外の河川敷はわりと見通しがきく直線がある。心拍を高めてペダルを回し続けるときは下を向き気味なポジションで、たまに目線を上げて人や危険をチェックする。ロングライドで田舎の舗装路を走るときは路側帯の白線を中心にした流れる路面が視界を占める。雑念は遮断。これも非日常的な時間。
信号がない道をただただ走っていたい。これは自転車乗り共通の願いじゃないかなぁ。