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肌に霧雨が冷たいなか、小石川あたりを徘走。 サイクルスポーツで連載されていた「変速機を愛した男たち」の著者、六城雅敦さんが書いた本を読んで、ぜひその舞台を訪ねたい衝動にかられたから。

小石川小日向にあった“切支丹御用屋敷”は、跡地にいまでは石碑と説明板があるだけです。が、江戸時代に幕府がここでキリスト教の宣教師を幽閉し、厳選した秀才たちに西洋の知識を教え込ませた。 だからこそ日本は鎖国政策を敷きながらも黒船来襲に際してうまく対処できたそうです。

小石川小日向は、高台です。坂が多い。武家屋敷がたくさんあった。

今でもこの地域は勝手口があるような屋敷も点在し、庭付き住宅が並ぶ。僕は目白台のほうからアクセスし、瀟洒な家や手入れのされたお庭を眺めて楽しんだ。地下鉄丸ノ内線・茗荷谷のほうに向かって適当に徘徊しているうちに緑と雨の匂いのなか、切支丹御用屋敷跡の石碑に着いた。

日本に渡り来た宣教師は神学だけでなく、天文学、数学、冶金(製鉄)、化学、生物学、医療などに通じた知的エリートでした。各地の藩から選ばれた人たちが小石川小日向で密かに宣教師たちから学び、隠密裏に幕府で働いた。

江戸時代、幕府は藩に対してさまざまな御法度を定めます。測量をして築城・造成・橋を架けること。大型船舶の造船。それらは幕府のお目付役監視・指導のもとでないといけません。

まあ、そんなことを切支丹御用屋敷あたりで想ってぶらつきました。坂を下れば東京メトロ丸ノ内線が地上を走るあたりで、線路脇には紫陽花。

とぼとぼと老宣教師ののぼりくる

春の暮れがたの切支丹坂 (金子薫園)

Post Author: coppi