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刺激があればやる気もでる。

この2週間ほど、まだ暗い4時ごろ起床して富津岬の公園道路を4周回していた。岬の周回路まで約5km、1周回約5kmなので合計30kmほどだが、岬の一本道はとにかく一直線だからタイムトライアルのように下を向いて一定の回転・心拍を保つことに集中できる。視界はほとんど流れるアスファルト路面だけ。coppiのやる気が起きたきっかけは、車椅子マラソンのレジェンドである土田和歌子選手(T54クラス)の練習走行に出会ったことだ。

某日、岬の直線路でパラサイクリングのハンドバイクとすれ違ったことが土田選手と顔見知りになったきっかけ。ハンドバイクはH2クラスで走る官野和彦選手で、彼の機材は“カーボンバイクUSA”で、これはパラサイクリング界の世界標準。興味を抱いて富津公園の身体障害者用区画に駐車されていたクルマの横で官野選手が練習から戻るのを待っていたら、後から土田選手がやってきたという次第。

 

土田選手も官野選手も脊髄損傷で下半身は不自由だが、上半身は正常な筋力を持ち、体幹コントロールがしっかりできる。土田選手の機材はホンダが関連企業と三社共同で制作するカーボン製の“翔”。注文してから納品まで1年かかる特注品だという。

 

駐車場でクルマのリヤハッチを開いて、手慣れた動きで機材を路面に置き、ストレッチをしてから彼女はオンコース。その走りを撮影しようと後ろについた。土田選手は深い前傾姿勢でハンドリムを漕ぐ。それは時計のように正確に繰り返された。

 

その走りを目の前にし、「もう70歳だから」、と自分を甘やかして体力維持程度としていた自分の走りが恥ずかしくなった。翌朝から自分も彼女の練習時間とかぶるような時間帯で走り始めた。

富津岬の早朝、通い始めると同じランナー、同じ猫たちといつも会う。同じ道路標識を起点にして2本先の道路標識まで心拍強度を上げ、次の曲がり角までクーリングに務める。こういったインターバルトレーニングを2週間もしていると体調が上向く。若いころのピーキング記憶にはまるで及びもつかないまでも自分のカラダと向き合いながら走るのは楽しい。

3日ほど前から、土田選手の姿は消えた。パラリンピックパリ大会に向けて旅立ったのだろう。「富津岬は20年前から通っている練習コース」と語っていた彼女と、またここで挨拶を交わせる日が楽しみだ。それまでにもう少し体重を落としたいなぁ。

パラ陸上での土田選手の健闘を祈りたい。

Post Author: coppi