サイクリングを愛好したことで知られる徳川最後の将軍である慶喜(よしのぶ)は、大政奉還で天皇に恭順の意を示して、明治維新後は駿府(静岡県静岡市)に住んでいた。その当時に輸入自転車を買って遊び、趣味で写真撮影を嗜んだということが知られています。
昨日は小石川の切支丹屋敷跡を訪ねましたがそのあとに細道を意味もなく徘徊。東京メトロ丸ノ内線の地上部分に架かる橋をひとつずつ渡っていたら、今井坂の跨線橋で“徳川慶喜終焉の地”看板に遭遇。
知らなかった! 緑ゆたかな国際仏教大学院大学の北東側にあるそれには、<駿府から明治30年(1897)東京の巣鴨、さらに明治34年誕生の地である旧水戸屋敷に近いこの地に移った。(中略)大正2年(1913)、急性肺炎のためこの地で没す。享年76歳>と刻まれていた。静岡でなく東京で亡くなったのですね。今井坂を上がったところ、大久保長門守の屋敷跡に明治34年(1901)に移ってきたそうです。
慶喜が自転車に乗っている写真は見つかってなくて、だるま自転車に乗る想像イラストがよく使われていますが実際はアメリカから輸入された自転車であったようです。慶喜の弟である徳川明武(1853〜1910)も自転車と写真撮影を嗜み、それが「しずおか自転車物語3」(静岡市役所で無料配布小冊子)に掲載されている。下右の写真です。
ちなみに旧水戸屋敷はここから東南東に約1kmほどの「小石川後楽園」(コロナ休園中)で庭は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」、随所に中国の名所の名前をつけて中国趣味豊かなものになっています。
南下して神田川を渡り、神保町の古本屋街を散策するのがcoppiのオススメです。