角田安正さんの著書『自転車物語・スリーキングダム』と『自転車物語II・バトルフィールド』は、coppiが雑誌編集者時代に連載記事担当編集になり、その後に本としてまとめた。角田さんは作家気質の人です。
執筆者に仕えるのが編集者。角田先生は連載ページの紙幅に合わせて歯切れの良い文章をコンピューターで執筆してメールで送ってくれました。打ち合わせの後にお酒となればワインがお好きでいろいろ蘊蓄をうかがうのも楽しかった。
平成26年に出版した『自転車物語・スリーキングダム』の第1話は、舟形車三代記。江戸時代に作られた人力駆動機構を備えた船の外観をした乗り物をつくった3人を書いている。
一代目の舟形車は、万治元年(1658)に武蔵國児玉郡北堀村(現・埼玉県本庄市北堀)の庄田門弥がつくった門弥式千里車、別称は“陸船車”。それが評判になり幕府からの命により享保十四年(1729)に献上車をつくった。
庄田門弥を「本庄市立歴史民俗資料館」では誇るべき郷土の発明者としてパネル展示して紹介
二代目の舟形車は、京都の時計職人である竹田近江がつくった陸船車。近江には天文や測量の機器をつくる友人もいた。
三代目の舟形はは、滋賀県彦根の天文暦学や和算数学の知識を持つ平石久平次で、享保十七年(1732)に陸舟奔車(りくしゅうほんしゃ)。
陸船車の研究緒端となった1983年の中日本自動車短期大学の大須賀和美論文『250年前、彦根藩士「人力走車」創製の記録』では「自動車」と分類・定義していた
え、江戸時代に自転車!? 読者の興味をガシっとつかむエピソードから読ませるスリーキングダムですが、これが自転車や機械を考古学的に研究されている先生にかかると、細かいところで「事実と違うんだよね」と苦言が。でも、学術的に調査・研究をして記述された論文だと、難解だったり、注釈や参考文献を併読したりが必要。それでは読み物としてつらい。
平石久平次の遺稿から発見された設計図。2003年にテレビドラマ化のため復元車が製作された
coppiは20代で出版社に入りまず先輩から編集者の基本的な心得・作法を教えられました。「読者は誰か、設定する」、「文章のセンテンスは短く」、「中学生が理解できる」と、まだまだあるけれど3つ挙げるならこれです。
先日、平石久平次の『新製陸舟奔車之記』に触れる機会があり、改めて角田安正さんが描いた舟形車三代記のストーリーテーリングの妙を思い知りました。
角田安正さんの著書未読の人はぜひ読んでください。自転車産業史が見事な筆致で紡がれています。