「サイクル日本」は戦後すぐに財団法人自転車振興会連合会が出版した月刊紙。イラスト紀行エッセイ「小野佐世男・女子レースに行く」は、昭和26年(1951)に「サイクル日本」9月号に掲載されました。クレジットは書と文、小野佐世男。戦前から漫画家として活躍されていた書き手です。当時の競輪事情をよく拾って活写されている。
ギャンブルっぽさの象徴的存在“予想屋”と“両替屋”。腹巻に札束を突っ込んだオヤジ、和装の麗人が一獲千金を夢見させる予想屋のダミ声のなかを歩いている。
場外には屋台が立ったそうです。焼き鳥、おでん、茹で卵、ビールや焼酎は2021年現在も人気メニューですが今やこういう店は場内にありますね。掛け金をすってオケラ同様になっても買える安いメニューがあるのがうれしい。coppiはそう感じています。
小野佐世男さんは~負けても明日がないじゃなし。酒はうさをはらい、うれしいときはいわい酒(中略)、一杯の酒もここでは喜劇と悲劇だ~と記している。
このイラストが描かれた前年の昭和25年(1950)、“鳴尾事件”により競輪界は全国50カ所の会場を3カ月自主閉鎖する自粛に追い詰められた。事件の元凶は17件のトラブルで内訳は執務員の手落ち5件、判定写真の着差問題3件、不正レースの疑い6件。目を血張らせて抗議する競輪ファンに群衆心理が重なり流血・放火・破壊などに至り、それを新聞が記事にして競輪を批判する社会的圧力が上昇したためだ。
競輪、競馬、オートレースが公営ギャンブル。野球などは闇ギャンブルだが、飲む打つ買うがまかり通っていた。暗いイメージのギャンブルだが、小野さんの絵は明るい。
集団落車のイラスト。競争の運営は執務員のジャンの慣らし違い、放送員の誤報、周回板の誤表示などあったものの、高いモラルで行われていたはずだ。競輪は横の動きがある肉弾戦なので落車は起きるべくして起きる。東京でのダービーレース、ジャンが鳴った第3コーナーは雨の降り始めで先頭走者が転び落車続発。穴だ、穴だ、大穴だ!
大穴を買った12~13人のうち、両親に内緒で競輪に来た中学2年生がいたらしい。賞金20万円以上を何に遣ったのか。小野さんは~競輪というのは“摩化(ママ)不思議”なもの~と著している。
イラスト:小野佐世男(サイクル日本1951年9月号より引用)