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若いころ東京湾口でヨット遊びをしてきたので、海から眺める地形から連想する歴史に興味がある。2月9日、僕は千葉県富津市竹岡の海に面した小高い標高99mの小さな山に足を向けた。

江戸時代に日本は鎖国で海外との交流を公には閉じていた。

しかし、外国の船がときどき現れていたので、それを監視する場所がいくつかあった。

そのうちのひとつが、竹岡にある城山(造海城、別称:百首城)です。

幕末には竹岡砲台が設置され、外国船を監視すると共に威嚇して追い払った。

城山は富津市刊行物の『富津市史』第四章・中世の城郭・第三節・市内の城郭址には、造海(つくろうみ)城址と表記されているので、この稿でも造海城址の表記とします。

造海城は、西面を浦賀水道、北面を白狐川で守られる天然の要害。尾根上には4つの郭が設けられ、さらに支尾根や谷の上部にも複数の郭が配置されたという

造海城址へのアクセスは、千葉方面からだと国道127号で城山トンネルがある。トンネル手前に流れる白狐川の右岸道路へ右折して河口に出ると、対岸に渡るコンクリート橋がある。

現状では橋の欄干にロープが貼られて「進入禁止」となっていた。

橋を渡ればすぐ、十二天神社の小さな社が現れる。社を覗くと緑の榊があったのでここを管理する人が通行していることが分かる。

 

十二天神社は、天神七代・地神五代を祀り、古くは山の神や農業の神として信仰された

ピーク1

造海城址にある城山には2つのピークがあり、2月9日に登ったのはピーク1と名付けた頂上。社の裏から登山道が地図にはあるが、それらしき道はない。急峻な斜面には丈夫なナイロンロープが2段階に垂らされていたので、それを頼りに単独アタックする。山頂までは30分程度かかった。

ロープのある直登ルートは尾根で、その左右は写真の樹木を見れば一目瞭然の急斜面だから滑落したら危ない。山頂までには一度コルがあり、ここで一息つける。鞍部はほんの数メートルで、また急斜面だ。

 

落ち葉と柔らかい土の地面は接地感が頼りなく、足を運ぶときはしっかり着地が鉄則。今回は折れにくい枝を杖の代わりに現地調達した。3点支持で慎重に登った。

ピークへの最終局面は、露わになっている木の根、太めの樹木をつかんで身体を上げた。

ロープを持参しなかったのは反省点。下山時、あれば安心だった。

登山時に、目印のテープを用意して適時どこかに残しておくべきだった。なぜなら、下山ルートが分かりにくく、何度か急峻な谷に向かっては間違いに気づいて登り返してトラバースを繰り返したので体力を消耗した。標高99mと舐めてかかったのも反省点だ。

 

ピーク1には石の壊れた構造物があった。文字でも刻まれてないか調べたが確認できなかった

 

二の丸は畳3枚程度の狭さだが、三の丸はクルマ数台が置けるほどの広さがあって海に向かう眺めが得られた

ピーク1の広さは感覚的に40平方メートル程度か。南側に下る小径があって、その右手に山城で言うところの二の丸、三の丸があり、その先に空掘りが現れ、絶壁と言いたいほどの急斜面なので行手を阻まれた。

 

空掘りの深さはそれほどでもなくピーク1側からは簡単に降りられたが反対側へは急峻で素手では登れない

ピーク2

城山トンネルの北口に赤いコンクリート製の鳥居がある。燈篭大師への参道だ。入り口に無料駐車場があり、高さ10mもある切り通しは実に見事で観光客がちらほら訪れる名所。

 

スケールのでかい切り通し。鋸山と同様に石を切り出したのだろうか? 一見の価値あり。この入り口には晴れた日だけ営業のカフェ(珈琲屋台Bloc)があり日向ぼっこを楽しめる

2月10日に訪れたピーク2へのアクセスは、燈篭大師の裏手にある岩盤の階段を上がると左手に「進入禁止」とある登山道があってここもロープで塞がれている。地面に落ちている看板には、「自己責任で」と書いてあった。このルートは割とイージーだが、油断は禁物。

 

燈篭大師の裏手にピーク2への登山道入り口はある。勾配は緩く歩きやすい

切り通しの屋根部分は、淵を歩かないようにとの配慮らしく規制ロープが渡されていた。見下ろすと高さ実感! 素晴らしい眺望。

 

ピーク2までには倒木を迂回したり、崩れたままの湿った小径では慎重にならざるを得ない。ただ、危ない区間はロープが張られて注意喚起されてあった。

 

樹木が繁り枝を伸ばしているので、それほど海面を見通すことはできなかった

尾根道に出ると3つほどの窪んだ小道で南北に広い場所で、右手には東京湾観音、左手には三浦半島の久里浜が、樹木の枝の隙間から臨めた。この広場からさらに一段上にピーク2がある。ピーク2の奥は崖。見下ろすと、昨日行手を阻まれた空掘りだった。

 

竹岡砦

「そんな場所、知らないな」と地元で80年生活してきたという男性S氏に言われたが、Googlmapでは検索できるのが“竹岡砦”。

地図の左下に「竹岡砦」が表示されている ©️Google map

富津市ホームページには<竹岡砦は、主に幕末の1812年に江戸幕府が異国船打ち払いを目的に築いた「竹ヶ岡台場(竹ヶ岡陣屋)」を指します。松平定信の命により白河藩が建設し、会津藩や忍藩などの武士が在番した海防施設です。現在は竹岡小学校の近くに土塁などの遺構が残存しています>とある。

 

親切なS氏が「多分あそこかな」と道案内してくださり、廃屋のさらに奥に続く小高い山頂に立つと、なるほど樹木がなければ絶好の海を見下ろす展望が開けるだろう。現在はそこに“御嶽清栄講”に関する石碑がいくつもある小規模な神社がある。

廃屋の2段目テラスからの眺め。ここは房総半島と三浦半島が近く、通行する船舶をチェックするには最適

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これは金谷の名主・鈴木家に伝わる「上総国竹ヶ岡御台場図」だ。

当主・鈴木氏によれば「房総半島に砲台はたくさんあったのです。造海城址麓の海岸も台場がありました」と話してくれた。

「第二次大戦では海戦より航空戦が主になり、海戦に備えた東京湾口の台場はすぐ撤去されていますが、観音崎とか走り水のある三浦半島側は深度があるので戦艦が通るあちらは砲台が多くて、残存する遺構が今は観光に生かされていますね」と鈴木氏。

前述のS氏も、「造海城址への道は子供のころは遊び場で、観光客のために階段が整備されていたし、山城の井戸なんかも残っていた」と述懐された。

思い立って始めた富津市竹岡周辺での史跡探訪は、お二人から教示を受けて楽しい2日間だった。初日のピーク1アタックによる筋肉痛はまだ治らない。

それにしても話題性の乏しい遺構は放置され、忘却の淵に沈む。もったいない。

参考文献:「富津市史p.330〜332」(富津市刊)

「図録 房州石」(金谷ストーンコミュニティー刊)

参考URL: https://chiba.mytabi.net/tsukuroumi-castle.php

http://otakeya.in.coocan.jp/info01/hyakushu.htm

Post Author: coppi