
「ハインツ・シュトッケはギネス世界記録に載っています。彼は世界で最も長い距離を自転車で旅しました。78万kmを52年かけて世界中の国々を一周し、帰省もしませんでした」とライアン・アンダーソン氏がメールをくれた。
ライアンはジャーナリストで、現在ハインツ・シュトッケ(85歳)が住むドイツの村にユーロヴェロ(EuroVelo *1)が通る計画なので、郷土の自転車有名人であるシュトッケの記念館を建てる計画に関連し、シュトッケの伝記を執筆するために行動を起こした。
あなたはハインツ・シュトッケをご存知ですか?
サイクルスポーツ誌の1972年1月号から2月号にわたり、カラーページでハインツ・シュトッケ自身が撮影した世界旅行の印象的光景が掲載され、紀行文が3月号まで連載された。
シュトッケは世界旅に出る前段階で1960年、20歳のときに故郷であるドイツ、へーフェルホーフを出発し、約2年でヨーロッパ近隣20カ国を巡り、旅のノウハウを身につけた。自転車旅が彼の人生観にもっとも馴染むスタイルであることを実感。それが哲学になった。そして1961年から半世紀にわたる“旅”についた。
連載2回目の紀行文リードに編集者がシュトッケの心情を、松尾芭蕉の辞世の句を借用して綴っている。 <“身は旅に病んで夢は枯野を駆け巡る” “旅に生き、旅に死んだ”、この詩人は、私にとって興味ある存在だ。なぜなら私も今“旅”をしているからだ。>
1970年代前半の日本は高度経済成長の終焉期で、スポーツ系自転車の主流はランドナーでした。大部分の自転車マニアはドロップハンドルの10段変速がスポーツ車だと考えていた当時、シュトッケは無骨なフラットハンドルの内装3段変速の自転車に沢山の荷物を積んで現れた。そのスタイルは衝撃的だった。
また、大多数の勤勉を旨とする価値観の日本人たちに、ひとつの国にじっくりと腰を落ち着かせ、人と出会い、互いを尊重し、将来も平和に暮らせるように友情を結ぶ、シュトッケの生き方も驚きだった。
そのシュトッケの旅のポイントになる軌跡をライアンは、自らペダルを踏んで追体験し、シュトッケが出会った人々を再訪し、コメント取材を敢行したのだ。
3月3日に大阪に到着。約1か月滞在した。「大阪から北海道まで、2000kmの自転車の旅を無事に終えました。北海道では寒くて雪も降っていましたが、風景の美しさに心が癒されました。この旅の中で、1972年にハインツ・シュトッケと出会った方々に非常に興味深いインタビューを行いました」とのことだ。
雪の北海道で 写真by Ryan Anderson
旅を続けるために小冊子’(第二版:タイトル地図も同様)を作り道端で売った ©︎ Heinz Stücke
2024年には南米コロンビアにも調査旅行し、香港でシュトッケがお世話になった自転車店FRYNG BALL BICYCLEも訪問してインタビューした。
ライアンは現在、シュトッケと一緒に伝記をまとめている段階だ。シュトッケが撮影したリバーサルフィルムは数千枚に及ぶが、1枚をピックアップして示すとシュトッケはすぐに撮影時期などキャプションを書くための情報を提供してくれる。頭脳は明晰!
ドイツにて協働するHeinz StückeとRyan Anderson 写真by Ryan Anderson
『ハインツ・シュトッケ伝記』が出版されるのは2026年の予定。楽しみに待とう。
*1「EuroVelo」 ヨーロッパ自転車連盟(ECF)の推奨する全欧自転車道路網。ヨーロッパ全土を19の長距離ルートで結ぶプロジェクトである。全長約9万kmが計画されている。ルートの条件は、傾斜が6%以内であること。2台以上の自転車が併走できる幅がある。区間距離で80%は舗装されている。年間毎日通行可能で、30kmごとにサービス設備、50kmごとに宿泊設備、150kmごとに公共交通へのアクセスがあること。全長約9万kmが計画されている。ルートの条件は、傾斜が6%以内であること。2台以上の自転車が併走できる幅がある。区間距離で80%は舗装されている。年間毎日通行可能で、30kmごとにサービス設備、50kmごとに宿泊設備、150kmごとに公共交通へのアクセスがあること。
