自転車遊びをライフスタイルにする人を大別すれば、<走る>ことに重きをおくアクティブな人たち以外に、<眺める>ことを愉しみにする人たちもいる。
僕が自転車に求めるのは、走るためにちゃんと動くことだ。乗り物はすべて動くことに存在意義がある。エロイカ・ジャパンのコンクール審査をする立場なので、これまでも表明してきましたが、その自転車が誕生したときのスタイルが維持されていること、それが時間の流れのなかでエレガントに古色を出していること、そして今も走れるコンディションであることが大事です。
ヴィンテージ自転車趣味の人には、眺めることに重きをおく人もいて、古いパーツや用品を業者から高い値段でも買う。欲しい人がたくさんいれば値段は落ちないし、希少価値が認められれば高騰もする。それは道理です。
手元の国語辞典で「骨董品」をチェック。
- 希少価値や美術的な価値などのある古美術品や古道具類。骨董。骨董物。
- 古いだけで価値がなく役にたたなくなったもの。またはそのような人。骨董。
古いパーツや用品が、骨董品として価格高騰するのは道理ですが、そこに目をつけてうまく立ち回り安く仕入れたモノを転売して利益を得る小商いは、倫理的に許されないことです。
バブル時代には海外の蚤の市などでパーツを安く買い込んで日本のマニアに高値で売った人もいたし、海外通販を利用して同様にあぶく銭を稼ごうとする輩もいる。僕はそういう行為を許せない。
理に適った値段で古いパーツが蚤の市で個人売買されるのはいい。僕自身、もう手に入れづらいパーツを補修のために買うし、使わないだろうと判断したものを売ったこともある。また、自転車好きが集まる蚤の市は同窓会のように温かい雰囲気がある。マニア同士の価値観に基づいて売買する場所は好きだし、そこで過ごす時間は愉快です。