ホビーレース頂点は“オリベッティ”
1970年代〜2000年はアマチュア向けの“ホビーレース”(市民レース、草レースとも呼ぶ)がコマーシャルベースで盛り上がった。
草分けとなった大会は『チャレンジロードレース』。1971年に日本アマチュア自転車競技連盟(JACF)が底辺拡大の意図で開催し、一時は2000人規模の大きな大会になった。連盟は本来レース参戦には選手登録を求めるべきなのに参加者の心理的な障壁を低め、未登録参加を許容したわけだ。やがて気楽な遊び気分OKなホビーレースがたくさん生まれ、1980年にはJCRC(日本サイクルレーシング協会)が発足してホビーレースが幅を利かすようになった。
レース形態はサーキットを利用したエンデューロレース、そしてヒルクライムが受けた。どちらも密集した集団走行を避けられ個人的に全力疾走すれば達成感を得られる。
だが、“リアルなレースらしさ”はやはり道路上での集団走行で空気の壁やライバルとの駆け引きが必須。そんな上級ホビーレーサーに好評だったのが日刊スポーツによる『オリベッティ・ツール・ド・ジャパンシリーズ』だ。イタリアのタイプライターブランドを冠スポンサーにして80年代から90年代まで続いた。都市部公道を占有してのクリテリウム形式で、エイジクラスから勝ち上げるとスーパーチャンピオンクラスに昇級できる仕組みだ。
- 画像はブロブ「新幹線通勤の日々」からお借りしました。草レース時代の懐かしいクラブジャージを着た人たち、時代を感じさせる
開催ステージは、所沢、蔵王、千葉、浜名湖、名古屋などがあり、各地に遠征する楽しみもあった。昭和時代後期に“丘サーファー”(クルマの屋根にサーフドードを載せて海でナンパする人)なる風俗が流行ったが、ホビーレーサーもルーフに自転車を載せるのが大好きだった。
- 福島・白河駅前での公道を閉鎖してのクリテリウムレース。道路閉鎖をしてのサイクルレースが実現できていたのは素晴らしい
関東では山梨・西湖の湖畔道路を占有しての『西湖ロードレース』、関西では兵庫県の高原道路を封鎖して走る『神鍋カップサンツアーロードレース』も人気が高かった。
昭和時代後期のホビーレースは活気、人気ともに熱かった。平成時代の今、それ相当の熱気があるのは『ツール・ド・おきなわ』の市民レースだろうか。
オリベッティ画像提供●新幹線通勤の日々
https://noor-shinkansen.ssl-lolipop.jp/racerec.htm