Site Loader

JR内房線『青堀駅』の南口ひろばに石板の“内裏塚古墳群”マップがある。

眺めているうちに行けそうじゃん、チャレンジ心に火がつき古墳すべて自転車で一気巡り敢行!  

思いつきでやったら2日間かかりました。作戦はまず線路の海側の古墳ポイントを先に巡って北上。次に線路の内陸側を北から南に古墳を探訪。

駅前石板にある古墳名称と大雑把な位置に加えて、スマートフォンのGoogle マップも活用。それでも見当つかないときは地元住人(高齢でねん気の入った家に住む)に所在を尋ねます。下調べ一切なし。

古墳からボクは、出土する埴輪、ガラス玉とか、副葬品をまずイメージします。古墳は西暦4〜7世紀の墳丘墓とか、往時の権力者がどれだけ影響力を持っていたかの証とか、そうだけれどそうじゃなくて緑ゆたかなイメージ、和やかで霊的な気配が漂うのにLOVE。

ちなみに内裏塚古墳群は、小糸川流域の主長一族によって5世紀から7世紀にかけて造られたそうです。

DAY1

エリア別1 JR青堀駅から海側

Visit1

上野塚古墳』 UWANOZUKA

輪行で来るなら起点となるJR内房線「青堀駅」の北口ロータリーに面して『上野塚古墳』は在る。土手にも見えるのは、墳丘が一部だけ残っていて、ざっくり削られている部分がコンクリート壁だから。

しかし、近寄ると壁面には出土品の土器を描いたレリーフや、古墳群の主要なイラストが嵌め込まれている。

コンクリート壁の端を歩いて上野塚古墳に登れば、北に東京湾と工場の煙突や遠く三浦半島が望める。

青堀駅の改札口は自動改札で、トイレを使いたい場合は改札を素通りして利用できる。周囲にコンビニはないが、銀行はあるのでATMは利用できる。

<DATA>富津市文化財ガイドブックによる(以下同じ)

前方後円墳(帆立貝型)。1992年県指定史跡。

墳丘長44.5m、後円部の径32m、高さ5.0m、前方部の幅25m、周溝全長55m。

Visit2

西原古墳』 NISHIHARA

『西原古墳』は個人住居の庭とJR線路に挟まれて在る。

青堀駅からすぐだ。

駅北口を背にして国道16号にて左折して富津岬方向に。駐車場が途切れた左に入る自動車1台がやっと通れる狭い道を入って突き当たり右。古墳説明看板がある。

狭い道はすぐに砂の混じった地道になり、そこで出会った通行人に古墳への道を尋ねたら、「ウチの庭なんでどうぞ見ていってください」と対応してもらえた。

庭の南側が墳丘の一部で、JR線路が施設(大正4年:1915年)される前は線路の向こうまで墳丘は続いていたそう。石室への入り口はブルーシートで覆われてほとんど埋もれている。庭には、発掘したときに出土した石灰質の岩が半分埋まってあった。

<DATA>

前方後円墳。

墳丘長60m、後円部の径30m、後円部残存高さ約1.5m、前方部の幅36m。

Visit3

青木亀塚古墳』 AOKIKAMEZUKA

青堀小学校の先に位置するこの古墳には、説明看板もなく、知らなければこんもりした雑木林の丘といった風情。古墳であることを犬の散歩する人も、隣接する畑を手入れする老人も認識していなかった。地元に忘れ去られた古墳。

富津市文化財ガイドブックでは、<未完成のまま中断した>と推定している。

国道16号の〔さきくさリハビリテーション〕の裏手に在る。踏査したのは冬なので枯れ枝をはらい落ち葉を踏みしめて雑木林の丘に登ってみた。木漏れ日がきれいだった。

<DATA>

前方後円墳。

墳丘長106m、後円部の径55m、後円部高さ3m。前方部の幅55m, 前円部高さ約4.5m。

Visit4

東冠1号墳』 『東冠2号墳』 『東冠3号墳』 TOUKAN

JR線路の〔切られ踏切〕に続く裏道沿いの個人宅庭が『東冠1号墳』だ。線路に向かって左手にあるその家の庭の北側は高さが2m以上(塚の一部?)ある。庭に沿って左に入る脇道がある。そこを進むとすぐにJR線路に面した墓地がある。その墓地が『東冠2号墳』だ。古墳を偲ぶものは何もない。だが、線路側にとても古い墓石や石仏をまとめて供養した萬霊塔があって祖先を敬う趣があった。

左に入った脇道をさらに奥に進めばL字に左折する。その左折する辺りの林が『東冠3号墳』で、“東冠森塚”と刻まれた石碑がある。東冠森塚の台座になっているのは富津市文化財ガイドブックによれば<凝灰質砂岩の自然石(磯石)で石室構築材の一部と見られる>という。塚のある家人に聞くと、「オレの曽祖母から聞いた話では、今はKDDIのアンテナが建っている場所に石室があったらしい」との由。

教えられて東冠1号墳のある家(本家)を尋ねると、玄関から出てきて当主が案内してくれた。

「昔に納屋を建てるために土を掘ったら、刀とかいろいろと出てきた。みんな八坂神社に奉納して今は昔の岩で祠をつくって祀ってある」と、石灰質に小さな窪みがたくさんある岩(前述の磯石と同じ)を指差して説明していただけた。

東冠1号、2号、3号墳もいずれも、説明看板はないが、地元の人たちが古墳に関する記憶を大事にされていた。

<DATA>(東冠一号)

墳丘。

墳丘長28m、周溝外径36.5m、残存墳丘高さ3m。

Visit5

稲荷山古墳』 INARIYAMA

線路ぞいの地道から畑のあぜ道を突き進んで『稲荷山古墳』らしきこんもりした大きめの林を目指した。大正解、それは目指す古墳だった。

このエリアは畑が広がり遠望がきくので、中規模な古墳は地図で検討をつけた方向のこんもりした林を探せばいい。

道から古墳に入れる小径があり、入り口に古墳の説明看板もある。

古墳内の林は散策してみたが、目立つものはなかった。

<DATA>

前方後円墳。1973年県指定史跡。

墳丘長106m、後円部の径47m、高さ6m、前方部の幅73m、高さ6.6m、盾形二重周溝全長202 m(6世紀古墳として東日本最大)。

Visit6

姫塚古墳』 HIMEZUKA

海側から県道158号(君津青堀線)でJR線路の踏切「西川」に向かう手前に位置する『姫塚古墳』は看板類もなく、見つけにくい。左手の畑の奥にある。目印は地区集会所だ。その裏手が古墳。富津市文化財ガイドブックにある発掘の経緯は<昭和13(1938)に農地造成の採土で石室が露出し、急きょ調査>したとのこと。だから畑の向こうに墳丘の一部があるだけだ。

近所の人に行き方を尋ねたら、「畑に入ってもいいけれど足元に気をつけてな」とやさしい言葉をいただいた。確かに、足跡が少し沈む。なるべく雑草の生えた畦道でアクセスする。古墳はびっしり生えた竹やぶで結局はアクセスできなかった。

<DATA>

前方後円墳。現状=楕円墳丘で長さ12m、幅7.5m、高さ2m。

墳丘長61m、後円部の径29m、前方部の幅34.5m、周溝全長82 m(調査値)。

Visit7

古井戸古墳』 KOIDO 

JR線路の踏切「西川」から県道158号(君津青堀線)で君津に向かうと変則十字路で県道157号(大貫青堀線)と交わるが、その手前に『古井戸古墳』が在る。ただし、看板はない。地図で見当をついけたそこには防火用水と、その背後に太い竹やぶがあるだけ。ここが本当に古墳なのかは確認できなかった。

<DATA>

不明。(記載なし)

Visit8

稲葉谷古墳』 INABAYA&『琴塚古墳』 KOTOZUKA

古井戸から南西に伸びる小道(JR踏切「小谷場」に至る)を入って見事な生垣の十字路を左折するとしばらく進めば左手にこんもりした林が見える。そこに2つの古墳がある。

「トラクターで耕すとたまに出てくるのよ」とご近所の人が、『琴塚古墳』から出土した古銭と恵比寿さまと布袋さまのかわいい土像を見せてくれた。

古墳の入り口には『琴塚』説明看板がある。琴塚には天明6年(1789)の大飢饉や天然痘の流行があった史実が記されてあった。また、琴塚には疱瘡神を祀った石碑がありきれいに掃除がゆきとどいていた。

琴塚の奥が『稲葉谷古墳』だと聞いたが藪でアクセスできなかった。

<DATA>

不明。(記載なし)

畑を耕して出土した品々は農家の神棚に祀られていた

 

Visit9(unable to visit)

武平塚古墳』 『武平塚南方古墳』 BUHEIZUKA

堰下古墳』 SEKISHITA

下谷古墳』 SHITAYA

がっかりです。

富津市役所から県道157号(大貫青堀線)で青掘に向かうエリアには、『武平塚古墳』、『武平塚南方古墳』、『堰下古墳』、『下谷古墳』が道の左に在ることにJR青掘駅南口広場の石板[古墳地図]では明記されていたが、いずれも見れなかった。

そもそも、地元の人々も古墳の存在をわかっていないようなので、古墳情報があるはずの富津市役所・生涯学習課に立ち寄り聞いた。すると、「お尋ねの古墳は、武平塚は個人の敷地内で見物はできません。堰下と下谷の古墳は発掘調査して周溝が確認されたようですが現在は埋め戻されています。このエリア以外にも古墳は私有地にあり一般人は見られない、調査ができないうちに消滅したものも」との由。とはいえせめて、祭礼や伝承で古のロマンを知りたいものだ…。

収穫は生涯課で『富津市文化財ガイドブック』を入手できたこと。この記事のDATAはこの小冊子による。感謝!

『武平塚南方古墳』<DATA>前方後円墳。後円部径34m、前方部幅30m、周溝全長93m。*私有地。

『堰下古墳』<DATA>不明。(記載なし)

『下谷古墳』<DATA>円墳。墳丘径18m、周溝全長25.5m、残存墳丘高約2m。*宅地造成で消滅

閑話休題

DAY1終盤は消滅している古墳がある事実にがっかりしつつ、歴史的ロマンを希求する旅人の思い入れと、民間開発や史跡管理で苦悶する行政のギャップに、考えさせられました。

古墳群の最北端から、青堀駅に南下して戻る予定でしたが、まだ夕暮れまでに時間的余裕があるので、day2に訪問予定だった古墳も少し寄っていくことにしました。

Visit10

亀塚古墳』 KAMEZUKA

陽だまりにたおやかなシルエットの『亀塚古墳』は、三条塚古墳の南東に隣接。ゆるやかな斜面を歩きで登れば、住宅地である周辺がよく見渡せる。気持ちのいい方墳だった。説明看板あり。

<DATA>

方墳。

墳丘辺長38m、内周外溝58m、外周外溝99m。

Visit11

森山塚古墳』 MORIYAMAZUKA

亀塚古墳に近い『森山塚古墳』も方墳で、上部には大正4年に建立されたという石碑がある。ベンチもあるので休憩できる。

<DATA>

方墳。

墳丘辺長27m、墳丘高さ4m、周外溝42.6m。

Visit12

三条塚古墳』 SANJOUZEKA 

『三条塚古墳』が在るのは飯野藩の陣屋跡4万1000坪の広々した敷地の東側にある。そのゆったりしたスペースは周囲を掘で囲まれている。水鳥がカラスの鳴き声に驚いて飛び立った。緑豊かで静かな空間にほっこり。

飯野神社が祀られていてその後ろ側に三条塚はある。

地元三条塚保存会がよく手入れをされているようで、古墳の背には整備された小径がある。

千葉の神社仏閣や古墳などの文化財は、総じて閉鎖的でなく誰でも史跡の深くまで立ち入ることができる。だからこそ、保存会のようなボランティアの手をいたずらに煩わせないように心がけ、開放的に散策できる状況を大事にすべきだ、と改めて思った。

<DATA>

前方後円墳。市指定史跡。

墳丘長122m、後円部の径57m、前方部の幅72m。

Visit13

割見塚古墳』 WARIMIZUKA

内裏塚古墳群のなかでは最大の方墳で、一辺40mで高さ5m(案内看板2007年の表記)のスケールと説明看板に書いてあった。最大と知れば興味が湧くが、近づけないし、入れない。

<DATA>

方墳。

一辺40m、高さ3.5m、内周溝の一辺63m、外周溝の一辺107.5m。

Visit14

蕨塚古墳』 WARAVIZUKA

地元の人に聞き、郵便配達員に尋ねた。古墳の所在が結局はよく分からなかったが、多分この小さい丘が『蕨塚古墳』の一部だろう。網で囲まれた丘を鶏がたくさん駆け回っていた。

「地主が土地を売ってからこうなったけれど、古墳なの?」と散歩する人に反対に聞かれてしまった。間違っていたらごめんなさい。

<DATA>

前方後円墳。

墳丘長48m、後円部の径28m、前方部の幅28m。

Visit15

古塚古墳』 KOZUKA

JR内房線「青掘駅」から館山方面に伸びる線路が最初に左にゆるくカーブする地点の左にうっそうと繁る林が『小塚古墳』であろうと地図で判断した。

線路の西側で林に小径でアクセスすると、真っ白な看板があった。

市役所生涯学習課で、「あそこは案内看板を用意している」と聞いたので、ここで間違いないと思う。ただ、単なる林なので散策する対象としてはいまひとつ面白みがない。

<DATA>

前方後円墳。

墳丘長89m、後円部の径40m、後円部高さ5.5m、前方部の幅62m、前円部高さ6.2m。

Visit16

白姫塚古墳』  『白姫塚南方古墳』 SHIRAHIMEZUKA

県道に『白姫塚古墳』への案内標識があるが、それは文字が紫外線で退色して読みづらい。個人の宅地内に古墳はある。地元で聞くところではお子さんが相続されたそうで、普段は立ち入り禁止のバリゲードが置かれている。

だが、覗くことはできる。小規模な墳丘だが風情があるので訪ねてみる価値はあるだろう。

<DATA>

円墳。市指定文化財

墳丘径30m、墳丘高さ3m、周溝37m。

Visit17(unable to visit)

野尻古墳』 NOJIRI

所在不明。

<DATA>

不明。(記載なし)

day2に続く

Post Author: coppi