前回に引き続き、故・鳥山新一氏が昭和26(1951)年に書いた記事の視点に着目します。アメリカから6選手が約1カ月来日し全国11カ所でエキジビション競技をした『日米対抗自転車競技大会』の報道は、日本自轉車新聞に掲載されました。
来日選手はアマチュアで、各種目タイムはそこそこのレベル。N.C.T.C.技術委員である鳥山氏の観戦記見出しは、<観衆の胸を打ったスポーツマンシップ>。このレースでも鳥山氏は良枝夫人とともに選手たちの機材チェックを事細かに行ないました。
1951年の日本の自転車競技状況、かいつまんでご紹介。
鳥山夫妻が主に聞き取り取材したのは20歳のジョセフ・シロネー選手。coppiも中学生時代に愛好会で走らせてもらった後楽園競輪場についてのコメント。
日本のトラックを」どう思ったか……
シロネー:後楽園のバンクは非常に悪い、下の方の肝心なところが少なすぎるし、上の方のスプリントのタクティクス(いろいろな技巧)を使うところは無茶に急でしかも路面も良くない。
関連コメントで、林譲四郎監督の<米選手に教えられた数々>に「バンクの使い方で米国選手は直角にバンクを使いジャンプ(スパート)する走法をとっていたが、これは日本選手が未だかつて全然知らない走法であった」という。バンクの高さを利用する加速を72年前の日本選手は知らなかったんですね。
鳥山さんは、参加選手の機材ブランド、構成パーツを細かくチェックし、さらに組み立てノウハウを観察。新聞一面を埋めた記事の見出し<レーサーや部品の考えを改めたい>では、日本製トラックレーサーのフレームパイプが必要以上に肉厚、フォークオフセットやヘッドアングルが不適切、フォークエンドの形状、シートアングルとヘッドアングルの不適切、こういった問題点を指摘。
その問題点を導き出した根拠は、前述したように日米選手の自転車比較で、米国選手が持参した機材ブランドはクロードバトラー、モルトン、シュウイン。
<全てモリブデン鋼>の見出しもあり、来日選手のフレーム素材がマンガンモリブデン鋼やクロムモリブデン鋼であることや、トラックレーサーがロードレーサーより『頑丈に作られている点を日本のメーカーは見逃してはならない』と強調している。
では日本チーム選手の機材は何か。主将の杉原将一郎選手と岡田次郎選手と松本喜久寿選手の3人は富士フェザー号、村野正明選手はエバレスト号、富岡喜平選手はウイビー号、植森富夫選手はビナス号、近成保選手はマルシン号、江村常雄選手はローベスト号。タイヤは全員がソーヨーを装着。
米国のステイラー選手はロードレースを走り、「なぜ日本人は外装変速機を使わないのか? 私は8スピードを使っている。10スピードに比べるとチェーンが外れない」 鳥山氏が国産部品を見せて質問した。
このデュラルミンのラージフランジ(三光舎製)はどうか……
ステイラー なかなかよく出来ている。B・Hのエアーラント・コンチネンタルとそっくりだ。(中略)あなた(鳥山氏)は欧州者を非常によく知っているネ」
鳥山氏は機材だけでなく米国選手たちのトレーニングを観察して、<米国チームは、機材よりもまず日本選手の乗車姿勢が悪い>と聞いたとも書き、さらに日本チームが<無闇に毎日トレーニングで走り、レース当日朝もするトレーニングは不要>と私見を述べている。
鳥山氏の啓蒙的記事は真摯な内容だが、よほど密着して選手たちに取材したらしく日本自轉車新聞の記事内にこんなコメントもあった。
「日本の人は自転車のことばかり気にしているが、もっと大切なことを忘れているのじゃないか」(ジョセフ・シロネー選手)。ちょっと、耳が痛いかも。