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「フランスから小林さんが来るのでランチでも」と、古い友人でブルベの達人・坂東司さんに誘われた。しかし僕は勘違い。てっきり自転車歴史家の小林恵三氏だろうと早とちり。なぜ坂東さんと恵三さんが?

サイクルスポーツ誌が2003年の第15回PBPを帯同取材したときに記者の僕はライダーの坂東さんと出会った。その縁で何度もPBPや海外ブルベ参加レポートを寄稿していただいた。

そんな経緯でランチの席でお会いした小林さんは、日本人として初めて1983年に第10回PBP(Paris-Brest-Paris)に参加して79時間で完走したパイオニア、小林京ニ氏であった。初対面なのにすぐ打ち解けて、メールで情報交換。素敵な写真をご提供いただいたので紹介しよう。

photo ©︎小林京ニさん

「40年ほど前の写真が出てきました。場所はSt Etienne 南郊外のリパブリック峠にあるヴェロシオのモニュメント前です」と、小林さん。彼は渡仏してすぐに長距離ランドネに開眼した。

1987年は途中棄権した。現在は心臓系の疾患がありハードなサイクリングは控えているが、2024年に来日したときは娘さんと与那国島へ行き日本最西端の地を電動アシスト自転車で走ったそうだ。奥様はかつてシクロツーリズム界で活躍したサイクリスト。

この写真は、「輪行袋に自転車を詰めて鉄道移動して参加したパリ-ルーベ シクロの中間地点で撮影されたカット。パーヴェ(石畳)の振動で座っていません。終わったらヘッドセットが緩んでいた」という。フレームは自ら溶接して仕上げたクロモリのスポルティーフ。凄いマニア!!

photo ©︎小林京ニさん

そういえば、行きつけのサイクルショップが同じだった友人、池田稔さんも2007年に第16回PBPを90時間ギリギリで完走している。「天候が荒れたために余裕がなかった」という。が、「最初は調子にノッて50km/h平均で走ってしまい、後で足が攣って大変だった」という勢いのよさは小林京ニさんと同じだ。

池田稔さん

小林さんも1983年の第10回PBPでブレストからの帰路は苦難の連続。「ブレストまで順調に30時間ほどで走ったけれど、ブルターニュ地方の夜の寒さとオーバーペースのせいか両アキレス腱に急性腱鞘炎を発症。帰路はトリプルプラトーの最小ギヤ28×25があったおかげでなんとか完走できた」と苦笑いする。

上の写真は池田さん提供で、「80歳を越えた人がこの自転車で私より遥かに早くゴール。兎に角、世界には凄い方がいらっしゃいます」と教えてくれた。

坂東司さんは一般社団法人オダックス・ジャパン(AJ: Audax Japan)のボランティア役員として尽力し、AJ20周年の記録を編纂中、その関係で小林京ニさんと連絡をとった。パイオニアに会えてうれしい。そしてブルベが日本全国に現在7ブロック26の主催クラブで組織され定着したこともうれしい。

中央が小林京ニさん、右が坂東司さん

下の写真は池田さんが撮影したPBP参加者たちの自転車。普通のロードバイクだけでなく、トライサイクル、タンデム、リカンベントなど多様性に富んでいる。歴史の奥行きを感じる。

photo ©︎池田稔さん

あなたもまず200km、300km、400km、600km、そして憧れの1200kmブルベに挑んでみませんか。サドルの上でずっと過ごせる。愉しいですよ!

Post Author: coppi