
スイス時計、Breitlingがふたりのカンピオーネらの名を冠したCYCLIST SIGNATURESモデルを4月11日に発売した。そのローンチで、ファウスト・コッピとジーノ・バルタリの物語を話してきた。
コッピ、バルタリの腕時計、値段はストラップ(折り畳み式バックル)107万8000円、ブレスレッド113万6500円。10気圧防水で5年保証付き。第二次大戦を挟んだ自転車競技黄金期にふたりがどれだけ大衆に愛されたかはブログを読んでくださる読者ならご存知のとおり。ローンチ前にスピーチ原稿を書いたのだがついつい長くなり、わずか10分で話せるよう縮めるのに苦労した。
それよりも当初に当惑したのは、「コッピとバルタリが当時に乗っていた自転車とジャージを展示したいので出来ますか?」と振られたことだ。
展示するからにはある程度きれいであるべき。幸いなことに、バルタリが用いたレニャーノ(1947年式)と、コッピが用いたビアンキ(1951年頃)は、埼玉・シルクサイクルの店舗に同型モデルが展示されていて借用許可を得られた。
どちらの自転車もカンパニョーロの棒式変速機装着でレニャーノは2本棒のカンビオ・コルサを、ビアンキは1本棒に進化したパリ〜ルーベを装備。2台とも時代考証的に文句なし、とくにビアンキはオリジナルペイントで博物館レベル!!
だが、自転車と違いジャージ探しは苦労した。ビアンキの襟付きウールジャージは所有していたが、レニャーノには難儀。結局、友人知人の伝手を頼ってたどり着いたのはビンテージ自転車専門店の三浦半島にある「葉山自転車市場」。店主の門脇大作さんから過去に販売したお客さんからの一時的借用を仲介していただいた。ありがたや!
バルタリが所属したチームはレニャーノでした。
マルコ・ファバロさんから教示を受けたバルタリのことを以下に紹介。
――バルタリは敬虔なクリスチャンだったので常に地味な生活を送り、お金に興味がなかったようです。そしてお金に困ることはなかった。政治家になるように当時のキリスト教民主党(Democrazia Cristiana)から打診がありましたが、彼は断りました。
引退後の主な活動
1)トレーナー兼監督
バルタリはトレーナー兼監督として自転車競技に貢献し続けたが極めて短いキャリアだった。1959年にファウスト・コッピを自身のチーム、サンペレグリノ・スポルトに受け入れたが、1960年コッピの死を期に、チームを終了。
2. オピニオンリーダー、TVコメンテーター
さまざまなテレビやラジオ番組のコラムニストとして活動。
3. 起業家
フィレンツェで自転車ショップを経営。
自身の名を冠した自転車を生産。(1940〜80年代生産)
4. 社会的・宗教的活動
キリスト教に深く傾倒していたバルタリは、カトリック教会関連の活動に参加し、アツィオーネ・カトリカという宗教普及活動団体などの組織のメンバーでもあった。
5. 年金生活
バルタリは年金を受け取っていたが、それほど高額なものではなかった。――
以上。マルコさん、ありがとうございます。
ジャージは洗濯でヤレる。ウールは虫食いで穴が空く。拝借したレニャーノのジャージは、実際にチームで使われたホンモノ! 防虫剤入りでビニール袋にきちんと収まっていた。実際に展示するとき胴体トルソーに着せたが、やや縮んでいたから襟は閉められなかった。しっかり愛用されてきた証だ。
一方、ビアンキのジャージはSANTINIが復刻した襟付きウールジャージだ。前後ポケット付き。ビアンキに乗るときだけ使っている。同じジャージで黄色とピンクの別バージョンもあるが、畏れ多くてほとんど着られずに箪笥の肥やしに収まっている。
ジロ・ディタリア、ツール・ド・フランスで活躍したふたりのカンピオーネとその時代、腕時計のローンチでだけでなく、語り継がねばいけない伝説です。