初秋の某日、富津市と君津市の境にある小糸川にある「小糸川右岸ジョギングコース」を走り、改めて房総の地質・構造の特徴を実感した。
房総半島には、素掘りトンネル、崖面に掘られた祠が多く、“川廻し”といって曲がりくねった流れをツルハシなどにより人力で短絡させる工事手法があるが、これらは房総半島の中央部から南部にかけてが、主に新第三紀や第四紀の泥岩や砂岩、それらが重なった砂岩泥岩互層という地層・組成であることが背景にある。
そういった房総らしさを今回の小糸川を遡るサイクリングでもじっくり味わった。

小糸川の流れは、河口から東の内陸に延びて、中流からゆるやかに標高を稼ぎつつ南に曲がって、鹿野山の裏側に至る。河口から源流まで約30kmであり、君津市街のエリアから国道127号線まではほとんど平坦だ。
「小糸川右岸ジョギングコース」(下流〜中流)
河口から3.5kmの位置に「小糸川右岸ジョギングコース」の起点である「周西橋」(すさいはし)はある。
右岸は丘陵で、頂きに人見神社がある。ちなみに「周西」は、この地域一帯の古い地名で、現在のJR君津駅は、大正4年開業当時は周西駅と呼ばれたそうだ。
コースには0.5km毎の看板があり、ゴール地点は5km。
全長約5kmのコースには「周西橋」、「人見大橋」、「後生橋」、「君津駅前大橋」、「釜神橋」、「富久橋」、「君津新橋」と7つの橋が架かっている。路面はソフトな舗装で、自転車が通れる内側レーンには歩行者優先の文字がところどころにペイントされている。
起点で振り返ると川幅は80mほどあり、砂が堆積した中洲には草が生えて枯れ竹が重なっている。下流には人見水門、JR内房線の鉄橋が見え、臨海工業地帯の煙突が臨める。

ペダルを軽くまわして「後生橋」まで遡ると川幅は半分以下に狭まり、川面はジョギングコースからは見下ろすほど低くなる。ここには親水エリアにアクセスできる舗装スロープがある。
ぜひ、立ち寄ってほしい。大きいコイがうじゃうじゃ泳いでいるはず。きっと、散歩の人たちが餌付けをしているのだ。

コース際には、場所の伝承を記した看板が2つある。

「房総往還」の記述引用(起点から2km看板の先)
――「房総往還」は、江戸から安房北条(館山市)に至る古道の総称である。
市域周辺では、木更津市の畑沢から君津市の高坂山を越え、旧周西駅(現JR君津駅)に至り、中野にあった釜神郵便局跡前を通り、「釜神の渡し」で小糸川を渡り、上湯江から三舟山を越えて富津市相野谷に至った。
周西地区の中野と貞元地区の釜神を結ぶ「釜神の渡し場」では、大正11年に釜神橋が架けられるまで、渡し船か川を歩いて渡らなければ通行できなかった。
かつて、釜神には会所、大川屋、万年屋、三河屋、米屋、鍛冶屋、足袋屋、菓子屋、提灯屋、酒屋、床屋、豆腐屋、仕立て屋などの商店や旅籠が道に沿ってあり、小規模な宿場を形成していた。――
「久保の揚水車」の記述引用(起点から3km看板の先)
――久保区は明治27年(1894)まで、農業用水としての施設がなく雨水一途だった。そのため、毎年のように続く旱魃(かんばつ)と虫害が甚だしく、無害なのは10年にわずか1〜2年だった。そこで小糸川の水を利用できないかと水利施設を調べてみると市原郡鶴舞に水車のあることを知り、それを考案した藤原治郎吉氏を迎えて揚水車を造ることになった。
揚水車は直径38尺ほどの大車で、これに直接流水の力を受けることにより大車が回転し、耕地の用水路に小糸川の水を引くことができた。その後に電力揚水機に切り替えられるまで60年以上も利用された。――

pho⚫︎昭和35年頃の「久保の揚水車」(掲示板の挿絵より)

小糸川右岸ジョギングコースの終点から先は、川のある辺りに見当をつけて走ることになる。何故なら、国道127号線の下を潜る道で先を目指すのだが、小糸川の側道が送電線のある住宅地で見事に途切れる。しかし、周辺は見晴らしがいいので地形を観察すれば川の位置は見当がつく。ま、何とかなるだろう!
続く