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“野生の勘”で上流を目指したことを前回書いた。全長5kmの「小糸川右岸ジョギングコース」を遡り、終点からは小糸川の側道が見事に途切れたので、ここからは地形を観察しながら上流を目指す。

住宅街の路地を抜けて国道127号線のアンダーパスで国道に出る。舘山方面にちょい(150m程度)進みすぐ左折、小糸川左岸側(流れとは離れている)で道なりに前方の山を目指して進む。小糸川の支流である宮下川に架かる「沢尻橋」を渡って道なりに進むが、橋の手前の「松川公園」にある石碑が気になった。

石碑は、表面がかなり風化していて判読困難だ。

内容(憶測を含む)

――水不足に悩んだ農民は鬼泪山の麓の湧き水を利用して、田畑に水を引くために用水を作った。宮下と常代の境で堰を作った、常代・杉谷・貞本・八幡・郡の五村が灌漑の恩恵を受けた。松本八郎氏は、用水をさら改善するために他の施設を見学・測量などして電力による揚水施設を立案し、昭和8年に竣工した――(昭和9年4月記)

石碑裏面には――工事費1万円(現在の数千万円)で端数の145円は地元農家や有志たちが身銭を切って出し合った『浄財』である――と刻まれていた。

この石碑がある地点でも、住民が利水に昔から悩んでいたことがわかる。

さて、「沢尻橋」を背にして道なりに2km弱で県道164号線に至る。その左手にある「六三橋」で小糸川と再会!

川の風情は典型的な房総の削られた窪みのような地形。前回でも書いたが、砂岩泥岩互層という地層・組成である証左だ。削られやすい地質だから長年の水の力で水面が地表から下がったわけだ。

「六三橋」から先は“野生の勘”総動員で山裾を縫うように勾配を稼いで走るのだがきつい勾配は皆無といえる(運動不足の人は除く)。

高速道路の高架や、川を囲むように茂る樹木を目安に走り、「四季の湯」の側道を辿ってさらに上流を目指す。黄金色の実った稲穂の水田があり、広い敷地の民家がある。

 

「共和橋」を渡り、小糸川左岸側の細い道を、地形を観察しながら走る。水田の畦には、透明な水が揚々と流れ出ているところもあった。

「東前橋」をチェック。深くえぐれた川がいかにも房総地形だ。

「東前橋」の欄干から見下ろせば小糸川中流・上流域の典型な眺めだ。川床が耕作面より深くえぐれ、竹が流域に沿って自生している。

 

小糸農協の道標を発見! 川の名はここの在所「小糸(こいと)」に由来がある。調べてみると、鹿野山の東山麓から北山麓にかけての小糸川流域には、自噴井戸(掘り抜き井戸)が多くあったそうだ。小井戸が転訛して小糸になったの由。小糸は上総掘りの発祥の地。地下水が噴き出すので、中流域よりも農業用水に困ることがなかったのだろう。

木造の素朴な鳥居がある神社を左手に進む。

 「額田橋」で右岸側に渡り県道92号を少し進んで、右折して小糸川沿いに近づく。首を垂れる稲穂、温室では湿地性のカラーを水耕・湛水に近い状態で栽培している。いかにも水が豊富な地域の眺めだ。

 

*千葉県は、減反政策下で稲作集団転作モデル設置事業を実施し(1971年以降)、地域ごとにインゲン、レタス、いちご、カラーなどを栽培(君津市ホームページより)

「八千代橋」で小糸川左岸側に小糸川左岸側に渡り、左折して細い道を進む。

県道163(小櫃佐貫線)にぶつかり、左手の小糸川「諏訪大橋」(橋桁は長いが、川幅は狭い)を観察して戻り、左折して房総スカイラインで小糸川左岸側を進む。鹿野山参道を右手に通り過ぎる。

 

「鎌沢橋」(平成五年竣功)の欄干には彩色したレリーフの装飾があって、橋を制作した人の郷土愛を感じた。道端に白鷺がいて近づくと羽を広げて飛んだ。

「清水橋」周囲に採石場があり山は削られて哀れに思えた。

その後は道なりで、秋元城(小糸城)跡登城口で、腹も減ったので小糸川遡上サイクリングをやめた。ちなみに、小糸川の源流はここから10kmほどの三島湖(三島ダム)。

小糸川の水利・推理

自噴する小井戸が多かった小糸川上流は、上総掘りの自噴井戸により水資源は豊富で、米の栽培でも水不足に困ることはなかったのではないだろうか。

しかし、中流域から下流にかけては、川床が砂岩泥岩互層により田畑のある地盤より下になり、数年毎に水不足の飢饉に大正期まで陥っていた。

小糸川の下・中流は、「水があるのに、田んぼへ水を持っていけない川」だった。

参考文献:『上総掘りの民俗:民俗技術論の課題』大島暁雄著/未来社/1986年刊

        君津市ホームページ『君津市洪水ハザードマップ小糸川』 https://www.city.kimitsu.lg.jp/soshiki/29/41675.html       他

Post Author: coppi