昨日は久しぶりのお天気なので、台風25号の痕跡を散策。
上野から土浦へのJR常磐線で、我孫子駅まで輪行し、手賀沼から利根川を経由して北印旛沼=印旛沼北部調整池を巡った。

常磐線でもサイクルトレイン運用があるらしい
台風25号の通過時と直後、北印旛沼の辺りが頻繁にテレビ中継によりフレームアップされ、土砂崩れと浸水の惨状が映された。

サイクリングロードで出会ったサイクリストと話すと、対岸を指さして「あの白い建造物の背後にあるソーラーパネルが燃えましたね。近くの堤防が決壊して今も数ヶ所で工事中」と教えてくれた。

ボート乗り場の復興現場で出会ったサイクリストは、「川の真ん中に電信柱があったのが撤去された」と説明してくれ、「向こう側の舗装路を毎日走っていたんですが、道路が陥没しています」の後に「数百年に一度あるかないかの水害だったから‥」と話す。

それにしても10月3日は晴れ渡り、サイクリングは快適だった。
手賀沼から利根川へは、手賀川土手にある「県道我孫子流山自転車道路線」を利用したが、ここでは一部区間の道路が割れてブルーシートに覆われていた。
眺望がよい利根川土手は、利根川水郷ラインとも呼ばれ、江戸時代には寺社参拝・遊山の旅で訪れる善男善女で茶店がたち、また銚子・九十九里方面からの鮮魚・荷物の流通で明治期になっても蒸気船が発着する河岸があり賑わったそうだ。

利根川水運で栄えた木下河岸の図(『利根川図志』挿絵より)
関東平野は、江戸時代の初期に徳川家康に命じられて伊奈忠次が親子三代に渡る工事で利根川の流路を変えた。利根川・渡瀬川・荒川の改修・瀬替えにより江戸は雨が降っても湿地帯ではなくなった。新田開発で整備された水路が流通に活用され、常陸国のこんにゃく、上野国の絹糸、下野国の石材や、生活物資が運ばれた。
そうした歴史に想いを馳せながら走った。

利根川から印旛沼に向かう道程で、ローカルな裏道を探して迷走。水田に続く細道の舗装がなくなり、土の轍になり、やがて行き止まってUターン。でも、そうした徘徊では熟したアケビとか、野良猫との睨み合いとか散見。手賀沼では光る水面にディンギーレース。癒されました。

久しぶりに100kmほどペダルをまわした自転車散歩だった。