3年前に書いた『海苔に捧げた甚兵衛の海』で、海苔漁ではすでに和船が使われていないことを書いた。
https://cycling-life.tokyo/海苔に捧げた甚兵衛の海/
このFRP(強化プラスチック)船が、房総・富津で海苔漁に使われている“てんま”だ。

“てんま”は富津での呼称で、その語源は江戸時代に宿場町間で人や荷物を運んだ「伝馬(てんま)」という馬にある。大型の親船(廻船など)が沖合に停泊した際に、親船と陸地(浜)の間を行き来して物資を運ぶ「艀(はしけ)」として使われた小型手漕ぎ舟が、<馬のように従順、かつ小回りを利かせて運搬する舟>の総称として、「てんま」と呼ばれた。それで富津の海苔漁における小型和船も、“てんま”となったのだろう。
ボート業界の情報を調べると、小型船が木造からFRPに移行したのは、1960年代後半(昭和40年代前半)から1970年代(昭和45年〜)にかけてだ。高度経済成長期は木材価格が高騰し、<木造船に比べて軽量だから速度がでる・腐食せず耐久性がある・型があれば大量生産できる>とメリットがあるFRP船が普及。伝統的な和船づくりが衰退した。

前置きが長くなった。さて、“てんま”とはどんな舟だったのか。その現物が、なんと千葉の市原歴史博物館(I’Museum Center)に保存されていたので紹介する。
博物館訪問のきっかけは、江戸時代から昭和初期にかけて江戸・東京との間で活躍した海川両用の貨客船「五大力船(ごだいりきせん)」の「舵」が常設展示されているのを観ることだったが、棚からぼた餅、幻の“てんま”も展示されていた!
市原歴史博物館では、てんま舟を、「海苔採り舟」と表記していた。
博物館では、<海苔養殖作業全般で使う海の上の自転車や軽トラックのような存在>で、<海苔を採るときは一人で乗り、櫂でこぎ進めます。(中略)海苔篊(ひび)を建てる際には柱や網などの資材を運ぶために、2〜3艘を連結。(中略)側面につける前板(まえいた)は、海苔を船上で洗う際などにしぶき除け>と解説。全長:4.54.m。

この個体は、昭和29年(1954)千葉県発行の「漁船検認証」プレートが船体に貼られていたので、この頃まで現役だったわけだ。木造和船の全盛期である。
残念なことに市原歴史博物館訪問時、学芸員が不在だった。
僕は、「前板」の機能が<しぶき除け>という解説が不十分に感じた。

舟の中央部(マイシキ)は船底より20cmほど上のスノコ状の場所であり、そこに作業者は乗る。右舷にマエイタがある
さらに、船腹にあった四角い金属プレートは何か、疑問に思った。

このふたつ、次回のブログ記事で報告する。
ちなみに、「海苔篊」の篊(ヒビ)は、海苔を養殖する網を取り付けた柱(竹が多用された)で、海水温が下がる10月ごろは海苔養殖のシーズンイン、昔は遠浅の海に海苔ヒビが設置され、てんま舟で漁師は毎日のように網の高さを調節したり、余分な付着物を落としたりの作業をし、年末から新春にかけて海苔作りに没頭した。
時は流れ平成のいま、富津ではもう遠浅の海に海苔ヒビを建てない。現在では千葉県の海苔生産者の約9割が昭和47年(1972)に本格導入された、“ベタ流し(浮き流し)”方式を採用している。沖で魚養殖するようなスタイル。これは、木造和船が廃れてFRP船に淘汰された時期と重なる。

ベタ流しでは、沖合に海苔網を浮かべて養殖し、“潜水艦”と呼ばれる大きめな専用海苔採取船(もぐり船)が、海面に浮いている海苔網の下に船首を潜り込ませ、網を船体の上へと這わせながら前進する。そして船上に設置された回転刃(バリカン群)が、網の下をくぐる海苔をスピーディーに刈り取っていく。
FRPのてんま船は、潜水艦のベタ流し中にロープや網が絡まったときには補修をし、また日常の海苔網での見回りに使われる。
ここに掲載したカットは、昨年に富津岬に近い砂浜から目撃したカット。潜水艦から、カニの脚見たいなアームが伸び、網がグルグル引き上げられた。しっかり機械化された海苔養殖の仕組み。

写真提供⚫︎松本 孝さん(富津)
風情ある和船から、ロボットみたいなFRP船への変遷。嗚呼!!