古代エジプトでは僧侶が禁酒を命令・勧告したので、おおっぴらに呑むのは特別のときだけだったとか。でも、庶民は呑んで陽気に踊り、掴み合いになり、挙げ句の果てに路上に倒れて担がれて帰る困った人もいたようです。これはエジプトの壁画にある最古の酔っ払い。
メソポタミアの粘土板から紀元前3000年には、ビールが薬としても使われていたことが知られています。メソポタミアでは大麦とエンメル(小麦の元祖)の生産量の40%がビールとなり、労働者には1日1リットル、下級役人に2リットル、上級役人と宮廷の女には3リットル、最高の地位の者には5リットルが与えられたほど日常的なものだったそう。
ビールを作るのはもっぱら「女のビール屋」で守護神は女神。自宅でビール作りをし自宅でビールを呑ませていたので、バビロン王朝6代目の王ハムラビ(在位1728〜1686B.C.)の法典には、もしも反逆者が酒場に集まったらそれを捕らえて役人に差し出さないと死刑など厳しい刑罰が記されていた。ビールの製法はエジプトに伝えられて作るのはやはり女の仕事。また、ビールは神々への捧げ物でした。
ドイツのエジプト学者ゲオルク・エーベルスがナイル川中流で1872年に発掘をしているときに『エーベルスのパピルス文書』を住民から買った。そこには西暦前2600年ごろの病気を追い払う魔除けや祈りと共に811の薬の調合法があった。その中に『ビールの泥』、『ビールのカス』が何度も出てきた。当時はそれが消化不良を治し、腫れ物の飲み薬と読まれたが、エーベルスの時代ではその先進性に気づけなかった!
後にビールの泥やカスは、“酵母”と読み解かれた。酵母にはビタミンBが含まれていることを研究者たちは発見し、抗生物質の役割があることが明らかになった。古代エジプトの医者たちは抗生物質という概念がないときに、経験からその効能を酵母のなかに見つけていたのです。
ビールもワインも日本酒も、酵母が作り出す発酵酒。今日も感謝して一献です!
参考文献:「ビールの文化史」春山行夫の博物誌Ⅵ 平凡社刊