1960年代に彗星のごとく輝いた第一ゴム・ナイロンコードWO タイヤをご存知ですか?
故・鳥山新一さん(1919~2021年)は1952年に通産省(現・経済産業省)によりヨーロッパにおけるスポーツ自転車視察をして情報収集し、かつ実車や部品を持ち帰った。それを機に『鳥山研究所』を東京・中野に興してし、サイクリング用車・技術研究のコンサルティングや、写真・映画の事業を行なった。鳥山さんは自転車の技術的はもとより人間工学の面にも言及できる強みがあった。当時の日本は官民を挙げてスポーツ車の研究・開発に取り組んだ。時代はもはや自転車が運搬の道具である座を自動車に譲渡していたからだ。
また鳥山さんは1959年にサイクル誌にルネ・エルスの車種体系を紹介。これでフランススタイルの旅行車であるランドナーがマニアの心をつかんだ。ルネ・エルスの信条は軽量である。長距離サイクリング競技のブルベやロード競技でも活躍したことに加え、当時有名メーカーのカタログや雑誌には写真でなくダニエル・ルブール画伯のペン画イラストが多用されていたことでルネ・エルス紹介イラストもルブールであったからマニア憧れの対象になる要素が揃っていた。
1963年のニューサイクリングによる新製品紹介
そんな時代背景に登場したのが第一ゴムが作った1963年に発売したナイロンコードタイヤ。とにかく軽い。陰で後押ししていたのが別棟の鳥山研究所(調布市深大寺)で基礎研究を担当。ニューサイクリング誌1963年9月号には広告が出た。こんなコピーだ、
ー軽くて、乗り心地がよく、安全に走れる!/これがタイヤの必要条件です!/ナイトンコードの第一タイヤはそれを/すべて解決しました。ー
車種によってお選び下さい。
スピード・快走向き 26✖️1 1/4WO 500g
日常用・サイクリング用 26✖️1 3/8WO 580g
旅行用・悪路用 26✖️1 1/2WO 630g
第一ゴムは先鋭的なメーカーだつた。1955年~1963年に日本タイヤ工業会は『自転車タイヤの試作研究報告書』(第一ゴム製造から峰岸徳治、佐藤卓爾が参加)などを出版し、63年の工業会報告書にはー近年ではナイロンコードがタイヤの用途に応じて採用されるようになった。ナイロンコードでタイヤのカーカスは著しく品質向上される一方、製品管理からも均質化が容易となり、自転車タイヤの耐久性は更に向上するに至ったーと書かれたその年に第一ゴムはいち早く製品を発売。
繰返し疲労試験で耐久性を確認された当時のタイヤ
ウォルバーのWOタイヤは世界標準だった
当時を知るサイクリストの証言では「砂目のタイヤでしなやか」だったそう。しなやかさはチューブラータイヤでは絹タイヤに相当の価値。残念ながら量産メーカー車には採用されずゼファーのユーザーなど一部のマニアに使われ、数年後に第一ゴム製造は市場から流れ星のように消えた。
で、突然ですが鳥山新一さんを偲んで有志でさりげない追悼ランをします。発起人は小池一介さん。11月23日(祭日)に調布・深大寺に12時40分ごろに各自が思い思いに集まる。フロントフォーク左側に黒いテープを貼ってください。目印はそれだけ。スピーチも集会もあえてやりません。気付いた人を認めたらソーシャルディスタンスを保ってお話しされるのは自由。僕は蕎麦を食べた後に第一ゴムタイヤの跡地まで走って帰路につくつもりです。