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=日本の自転車レース、2つの金字塔=

不忍池・内外自転車競走運動会

日本最初の自転車イベントは明治31年(1898年)に上野・不忍池で大日本双輪倶楽部が主催した『内外自転車競走運動会』だ。これは競馬場跡地の道路だった。

  • プレ大会の1897年は20人ほどで行ない鶴田勝三選手(大日本双輪倶楽部)が優勝。

明治時代初期に自転車をスポーツ的に乗るのは横浜などの外国人居留地に住む欧米人で、彼らが自転車を持ち込み、その修理をした日本人職人が自転車作りを始めた。日本人で高価な自転車を乗り回せたのは一部の裕福な人たちや学生。

やがて主にアメリカから自転車が輸入されると宣伝のために足自慢の日本人が走った。そういった時代背景の下に不忍池で内外自転車競走運動会は開催された。ちなみに自転車倶楽部は関東だけでも20以上が結成されて、遠乗り会か競争会を行った。

開催地の不忍池についてweb記事『文化遺産発掘』には<今日、不忍池はゆるやかな楕円形をしているが、明治時代初期までは池の北側から藍染川が注ぎ、現在とはかなり異なった形をしていた。現在の形状は、明治時代に池畔を競馬場として使用するために実施された埋立て工事に由来している>とある。

競馬場への改修工事は明治17年3月から始まり、突貫で約半年間の工期。同時期に建てられた鹿鳴館と並んで日本の近代化を顕示する社交場であり、競馬場開設には国家的行事として多額の資金が投入されたそうだ。コースは1周1600m(1哩)×幅22mだった。

競馬は春夏の2回開催されていたが明治25年(1892)の秋場所を最後に不忍池競馬は終焉。明治31年(1898)競馬場跡地で内外自転車競走運動会が開かれた。参加選手は500人ほど、観客2万人の大盛況。人気は双輪倶楽部所属の鶴田勝三で13歳から横浜居留地のトラックで外国人と走っていた健脚だったが、アメリカ人のドラモントと20哩レースで一騎討ちの末に一車身差で敗れた。

 

ツーリスト・トロフィー選手権大会

もう1つは第二次大戦後の復興期に開催された『ツーリスト・トロフィー選手権大会』。これはぜひビンテージ自転車マニア視点で語り継いでおきたい。昭和22年(1947年)に毎日新聞社と日本自転車連盟が東海道を道路封鎖して開催。

第1回は大阪〜東京、翌年は逆に東京〜大阪へと3日間・距離618kmという凄いスケール! 第二次大戦後しばらくは市街地レースがいくつも行われ、野球とともに自転車レースは人気があった。ちなみに競輪(1948年〜)が行われるようになると自転車競争=ギャンブルという見方がうまれ、経済成長による道路封鎖の難しさもあり少なってツーリスト・トロフィーも2回で幕切れ。

リザルトが分かるツーリスト・トロフィー第2回大会は15チームが参加して総合優勝は大日本機械大阪(22時間7分21秒)、2位が中西金属工業、3位が大日本機械東京だが、ほかにも三菱重工業、萱場産業などが戦後のGHQによる平和産業転換政策により自転車を製造してピーアールのために参加した。

萱場産業チームにはUCI副会長を務めた故・加藤一氏も選手として1947年の第1回大会に参加したと聞く。1964年の東京オリンピック個人ロードレースで活躍した大宮正志氏も日本大学時代に第1区(東京〜静岡)2位、第2区(静岡〜名古屋)1位、第3区(名古屋〜大阪)5位と活躍。

6月23日の記事、三光舎の沿革でも触れたが、国産変速機の試作モデルがいくつか散見。ジュラルミン製フレームも参戦している。

参考サイト:大江戸歴史散歩を楽しむ会

https://wako226.exblog.jp/20892030/

参考サイト:まちかど西洋館・古写真・古絵葉書展示

http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-entry-1036.html

参考サイト:自転車の歴史探訪・明治期東京の自転車倶楽部事情

http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/rekishi/rekishi29.html

 

Post Author: coppi