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トゥーリョ・カンパニョーロにとって1949年(昭和24年)のツール・ド・フランスは忘れられない年となった。

まずサンプレックスに看板スターのコッピが寝返った。チーム内で車輪を融通しあえるように変速機はアシストらと同じが常識なのに、ルシアン・ジュイが巨額報酬でコッピを買収してコッピだけがサンプレックスを使い優勝した。

追い打ちをかけるように、もう一枚の看板スターのバルタリもヴィットリアの改良版であるセルヴィーノの使用を主張しだした。

ペダルを後ろに回して変速するカンビオ・コルサやパリ・ルーベはあきらかに不利で時代遅れになっていた。バルタリとコッピは頑固にフォーク式にこだわるトューリオに翻意を迫ったわけだ。

そこで、トューリオはこの2人のスターを引き留めるために、たった3カ月でパラレログラム(平行四辺形)方式変速機の「グランスポルト」(1950年)を仕上げてみせた。

 

パラレログラムの出発点

その背景には一人の技師の存在があった。フランチェスコ・ギギニー (1896年〜1989年)は、北イタリアのラスペツィアで造船技師だが余暇には機械部品をつくることが趣味。1941年(昭和16年)に後輪の車軸に取付けるパラレログラム(平行四辺形)機構の変速機構を発明した。シングルプーリーではチェーンが歯飛びしてしまうため、プーリーを2つにした。現代の標準スタイルであるダブルプーリーとパラレログラムが合体した最初の変速機である。

目敏いトゥーリョは51年にギギニーの特許を買い取った。そしてレーシングディレイラーとしてはるかに性能の良い「ツープーリータイプ」が認知されていったのだ。

ツープーリーの名機、「グランスポルト」(1950年)は、それまでのレース用変速機を凌駕した。初期製品は走るとジャーと独特の音がした。実戦では泥水や砂に弱かった。ボディは真ちゅう製で強度が弱く転倒で簡単にねじ曲がった。だがワイドキャパシティー化した鉄製のレコード(1962)、アルミ製のヌーボレコード(1967)と受け継がれ30年に及ぶカンパニューロ社の看板変速機となった。

下のイラストは、失敗作のカンパニューロ「スポルト」(1954年)

レーシング変速機はシングルプーリーかフォークタイプ、ツーリングディレイラーはツープーリーという思い込みは50年代でも強く、サンプレックスやユーレーもシングルプーリー変速機を販売した。カンパニューロもツープーリーのグランスポルト、ワンプーリーのスポルトを併売。驚くことにスポルトは60年代のカタログにまで残っていた。

 

 

変速機コラムは六城雅敦さんがCYCLE SPORTSに2017年6月号から2019年8月号まで25回連載した「変速機を愛した男たち 温故知新」をベースにしています。©?六城雅敦、リライトcoppi

 

 

Post Author: coppi