1905(明治38)年2月〜1906(明治39)年9月
(確認:自転車文化センター所蔵)
編集人の清水 卓は発刊の言葉でなぜか、「羅針盤として任じたる快進社の自転車雑誌に比し、関西の三友雑誌に較べ本誌自ずから忸怩たるを任ず」と卑下するが、細かく記事をよく集めている。ゴシップも得意で、第6号「古道 自転車乗逸話」では、<理学士石田安治氏、満々たる手桶の水浴びる>(坂道を上っていたら小間物問屋の丁稚さんに水をかけられた)とか<石川氏、魚屋に衝突して損害賠償金一銭(一円の百聞の一)を支払う>(いなせな魚売りと銀行員サイクリストが神田鎌倉河岸で衝突した。鰯が散乱、前輪で鰯三尾を踏む。両者ともに正直な性格。互いに自らの非を詫び、石川氏が弁償を申し出るが魚屋は何度も断るも、石川氏の気持ちを汲んで「ソレぢゃ旦那せっかくの思召しでございますから、どうか一銭だけ頂かせてくださいまし」と決着)と、当時の雰囲気がよく伝えている。
写真は当時のユニークな雑誌広告。