ジャック・アンクティル(1934〜1987)は、新しいやり方で1957年のツール・ド・フランスで勝った。それはTTで他者を圧倒し、山岳ではライバルに遅れをとることがないスタイルだ。
アンクティルは18歳でフランスのアマチュアチャンピオンになったが、プロ生活では世界チャンピオンはおろかとうとうフランスチャンピオンにもなれなかった。クラシックレースの勝利も三勝だけだ。しかしツールでは5回、ジロでは2回、ブエルタでも1回の総合優勝を飾っている。ステージレースではアンクティルは集団からほとんど千切れることがなく、逆に集団を千切ることもなかった。
彼は23歳で出場した第44回ツール5日目にマイヨ・ジョーヌを手に入れる。これをいったん失うが、またすぐアルプスで手にすると今度はパリまで守りとおしてしまった。ピレネーのトゥルマレ峠やオービスク峠では、イタリアのクライマーたちに付いていくことはできなかったが、第22ステージの66kmに及ぶ個人TTでは圧勝、2位に15分の大差。レキップ紙はトップの見出しに「アンクティル、ツールの扉を開く」の文字を掲げて、人々にアンクティル時代の到来を告げた。
“人とマシンの一体化”、これが彼に与えられた賞賛の言葉となった。身長174cm、体重68kgと大柄ではないし、安静時の心拍数も40だったから、この程度の体格と心拍数ならいくらでもいるだろう。しかし彼のフォームは風の影響を最も受けにくい卵形で、TTの理想のフォームとされていた。肩が揺れず、腰をあげることはほとんどなく、必ずつま先がかかとよりも下がっている。力強いがしなやかでエレガントなペダリングで重いギヤを丸くリズミカルに回して風を突き抜けていく。
プロになる前の19歳ですでに、世界で最もタフなTTとされるグランプリ・デ・ナシヨンに初参加したときに2位のプロ選手に6分半の大差をつけて優勝。自転車レースに出るようになってまだ2年しか経っていなかった。こと個人TTに関しては他の選手とはまるでレベルが違い、彼はこのレースで9回の優勝を飾っている。
写真は1963年のアンクティル。彼は1953年から1955年までフランシス・ペリシエ監督のLA PERLE-Hutchinsonに所属して赤白のジャージを着ていた。
この記事は安家達也氏の名著「ツール100話」(未知谷)より引用し、coppiがまとめました。