自転車で走るのが好きな人にとって、忘れないでほしい偉人がいる。その名はポール・ド・ヴィヴィ(Paul de Vivie)、彼のペンネームは“ヴェロシオ”(Velocio)です。
1970年代からのランドナー世代でニューサイクリング誌を愛読していたマニアなら多くの人がご存知かもしれませんが、21世紀からのマニア世代にはあまり認知されていないかも。そして現在、検索エンジンでヴェロシオと入力すればサイクルウエアしか登場しない!
Googleなどの検索結果はスポンサー契約すれば上位掲示されるので仕方ない。けれど、階層を下げても自転車の偉人ヴェロシオが登場しないことにcoppiは超個人的に愕然!
そこで、じてんしゃ自由主義!の読者には釈迦に説法でしょうが改めて書きます。以下、六城雅敦さんがサイクルスポーツ誌に連載した「変速機を愛した男たち」からのほとんどダイジェストです。
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Velocioについて
ヴェロシオの本名はPaul de Vivieです。1853年(嘉永6年:黒船来航の年)に落ちぶれ貴族の家系に生まれました。家族はフランス南東部アヴィニョンの近くにある大きな村ペルネ(Pernes)で駅馬車の停車場と宿を経営。母親が死んだ後、リヨン近郊のミゼイユで父親の再婚相手であった継母の牧場で働きました。
1870年代にプライベートスクールを卒業し、フランス中南東部サンテティエンヌ(St.-Etienne)でリボンの製造と編み物会社の仲介で身を立てました。アウトドアスポーツの趣味があり地元サイクリングクラブの共同設立者にもなります。1881年ごろ、彼は背の高い自転車(だるま自転車)でツーリングを始め、より安全な三輪自転車を乗るようになり、やがてセーフティー型が登場するとすぐに乗り換えました。
商用でイギリスのコベントリーに行くと、当時つぶれかけた織物工場を買収する自転車産業をみて彼はその可能性に気づきます。サンテティエンヌに戻ると、自転車も扱い品目として多角化を図り、1886年(明治19年)に自転車の輸入代理店業をたちあげます。イギリスからフランスのサイクリストに珍重される高級自転車の輸入を始めたのです。翌年には地元サイクリストの寄稿と彼の自転車用品の広告を掲載した雑誌“Le Cycliste Forezien”を出版します。この雑誌はサンテティエンヌ以外でも売れ行き好調で、1888年には雑誌名を“Le Cycliste”(シクリスト)に改めました。シクリスト誌は読者から寄稿される記事と手紙で構成され、編集はヴェロシオ独りで行ないました。彼は自分の記事には“ヴェロシオ”と署名をすることが常でした。
やがて1892年、彼は自分のブランド”La Gaulouse”を立ち上げる。しかし自転車市場はまだ小さく競争はすでに激しかったので、質素な彼の建物で目の肥えた少数の愛好者にカスタムバイクを組み立てることに専念しました。しかしその仕事で満足でません。なぜなら彼の本当の興味は試用して部品を改良することでした。特にギヤチェンジのメカニズムや長距離サイクリング、菜食主義、これらの随筆を彼の雑誌に掲載することです。それらを綴ったものを1889年“シクルツーリスト”(cyclotouriste)と題して出版しました。
これは彼が峠のシクロツーリストに向けた7つの戒め。(意訳)
- 自尊心にかられて無理しないこと。
- 最初は体力が有り余っているので無理したくなるものだ。
- 少なくとも走行中は肉とタバコは食事から省くべし。
- 寒くなる前に着て、暑くなる前に脱ぐ。太陽、空気、水に身体をさらすべし。
- 過度な疲れ過ぎは、食欲不振や睡眠不足につながるので避けるべし。
- お腹が空く前に食べ、のどが渇く前に飲むべし。
- 走る意欲が低下しないようにひんぱんに短く休むべし。
- illustration●山王スポーツカタログより借用
そのときの年齢は50歳を越していました。それでもヴェロシオは40時間で400km(250mile)を完走し、さらに高い山々を登っていたのです。年間走行距離は最高2万km(12,000miles)におよび、彼はフランスの自転車旅行の表看板となり、読者たちは門下生(弟子)として彼を慕いました。ヴェロシオの容貌は人目を引き、背は低くほっそりした体格でした。常に手製の粗い目のウールを着用。ジャケットはのど元までボタンで締まり、ニッカーボッカーと厚いウールの長靴下、モンク(修道者)サンダルを季節や天候に関係なく履いて、広く底の深いベレー帽をかぶっていました。彼は近視のため、安全リボンで鼻眼鏡をかけていました。横に広がった口ひげと禿げ頭で遠くからもすぐに彼だとわかりました。自転車技術だけではなく、幅広い話題と教養がありました。
1930年に亡くなるまでヴェロシオはあらゆる自転車技術の改良に注力。新製品がでるやいなや彼はそれを記事にし、トラブルが起こりそうだと思えば些細なことまでテストを行ないました。その結果はシクリスト誌で報告し、自転車とギヤシステムの賛否について熱心に読者と語り合いました。
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ツール・ド・フランスはフランスを象徴するイベント、プロスポーツに限らずアマチュアの自転車乗りも昔から速く走ることに熱中しました。フランス地図に対角線を描いたようなコースを走るディアゴナール、長距離を規定時間内に走るブルベなどは、ツーリング競技です。これらの自転車遊びもまた、ヴェロシオが提唱してくれた文化遺産。
次回は、ヴェロシオが最も心血を注いだギヤシステム、変速機について書きます。
<ご参考>
書籍「Vélocio」
https://mai.saint-etienne.fr/paul-de-vivie-dit-velocio-levolution-du-cycle-et-du-cyclotourisme
書籍「Dancing Chain 」( History and Development of the Derailleur Bicycle )5章にヴェロシオ関連記事あり。
ウィキペディア「Vélocio」 https://fr.wikipedia.org/wiki/Vélocio