1903年から始まった「ツール・ド・フランス」。開始から10年ほどの総合優勝バイクブランドを改めてチェックしよう。1904年の第2回目総合優勝に輝いた選手はアンリ・コルネではわずか19歳11カ月の若さ。残念ながら自転車ブランドは不明だ。
初期ツール・ド・フランスの総合優勝ブランド
開催年 総合優勝選手(国籍) スポンサー(自転車ブランド)
1903年 モーリス・ガラン(FRA) La Française (DIAMANT)
1904年 アンリ・コルネ(FRA) Cycles JC –Michelin またはConte(?)
1905年 ルイ・トゥルスリエ(FRA) Peugeot–Wolber(プジョー)
1906年 ルネ・ポッティエ(FRA) Peugeot–Wolber(プジョー)
1907年 リュシアン・プティ=ブルトン(FRA) Peugeot–Wolber(プジョー)
1908年 リュシアン・プティ=ブルトン(FRA) Peugeot–Wolber(プジョー)
1909年 フランソワ・ファーベール(LUX) Alcyon–Dunlop(アリシオン)
1910年 オクターヴ・ラピーズ(FRA) Alcyon–Dunlop(アリシオン)
1911年 ギュスターヴ・ガリグー(FRA) Alcyon–Dunlop(アリシオン)
1912年 オディーレ・デュフライエ(BEL) Alcyon–Dunlop(アリシオン)
1913年1914年フィリップ・ティス(BEL)Peugeot–Wolber, La Sportive(プジョー)
コルネは自転車を初めてわずか1年のキャリアで、ベルギーのCycles JC –Michelinというチームから参加。自転車ブランドは「CONTE」かも知れないが詳細不明。
上写真はフランス版ウィッキペディアの画像。フォークやシートアングルが寝ているので長距離を走るには適していただろう。ブレーキは前がキャリパー、後ろはコースター式。この時代らしくハンドルには食料を入れるバッグが取り付けられている。
ちなみに他の有力選手たちの自転車ブランドは、前年度優勝のモーリス・ガラン、2位だったリュシアン・ポティエ、それにモーリスの弟であるセザール・ガランはラフランセーズ所属なのでディアマント。ガランのライバルであるイッポリット・オクテュエリはプジューだ。総合順位はひとまず前年に続いてガラン、ポティエ、セザール、オクテュエリの順で決まったが4人はレース中の不正が明らかになり、フィニッシュ4カ月後に5位であったコルネが繰り上がりで総合優勝と記録された。
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