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変速機の歴史で、太平洋戦争直後の数年を振り返ります。

4月29日にFacebookで、coppiは東京・板橋区の「三光舍」跡地を訪ねて<昔、三光舎というディレーラーのメーカーがありました。第二次大戦の翌年にコベントリー・シクロをコピーしてヘリコイド式を作った。上の写真はその跡地。その3年後に「斉藤製作所」がSPEED-Xを作りNCTC(日本の初期サイクリングクラブ)のメンバーが使った>と書いた。これはサイクルスポーツ誌にかつて六城雅敦氏がしっかり取材して書いた連載「変速機を愛した男たち」による。

すると自転車博物館の学芸員氏から、<三光舎が最初とされていますが、三光舎が日本で一番最初と考えて良いでしょうか>との問い合わせをいただいた。

そこで、改めて変速機の歴史を整理する。歴史的な事実とは、何かの媒体に活字や広告などで、確認できることが肝心。あやふやな記憶やあいまいな情報では不確かです。そういう情報は可能性としてありだけれど、歴史的事実とは言えません。

時系列で並べておく。

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1947年=三光舎 ダブルワイヤー式変速機の特許出願

萱場製作所 シングルワイヤー式変速機(少量)

1950年=斉藤製作所 「SPEED-X」(サンプル)→日米商店に供給 「FUJI SPEED-X」。*斎藤貞次氏は1947年に変速機の特許を出願して1949年に公示されている。

1950年11月=三光舎 ダブルワイヤー式変速機(流通)

1951年=三光舎 スライド式変速機(流通)

1952年 鐘淵機械工業 ハブギヤ→1955年に淡島工業から「66TOWSIX」

1954年の東京〜熱海ロードレースには、「三光舎、宮田、山口、萱場の国産変速機が使われた」と後年、雑誌サイクルで久野善司が語っている。

昭和30年代中頃には少なくとも6社が外装変速機を製造していた。大日本機械工業(現ハスクバーナー・ゼノア)はDNBやDanubeというブランドで途上国へ輸出していた

1956年 和田盛輪社 ハブギヤ「GOLDEN BOAR」

1957年 島野工業 ハブギヤ「333」生産

関連情報*1954年工業規格制定、チェーン11/8から11/32へ。

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上の写真は「変速機を愛した男たち・11話」の記事の一部。右の変速機が戦後最初に作られたヘリコイド式変速機(1947年特許出願)だ。これが1950年には流通していることをシクロサロン植原の植原郭氏が確認していた。

 

マニアの間では斉藤製作所の「SPEED-X」が戦後初の変速機とする向きもあるが、サンプル程度の数であったようだ。次回は「SPEED-X」を取り上げます。

Post Author: coppi