高度成長期前の千葉・浦安は、旧江戸川の三角州に発達した漁師町。昭和初期までは橋がなく、人々は渡し船で東京に移動していた。遠浅の海には魚貝類が豊富、海苔の養殖も盛んだった。ほとんどの住人が漁業関係で、素朴で独特な活気がある漁村の様子描いた山本周五郎の『青べかの町』という小説もある。

その浦安市郷土博物館に、船大工が寄贈した道具がたくさん展示されているようなので訪れてみた。この博物館、入場無料でその展示内容や超充実! レトロな堀割りの町を再現したセットまであり、なんと和船の無料乗船イベントまで実施。

「浦安市郷土博物館」では入口の売店で絵葉書が買える。上の大きなカットとこの1枚は、べが舟の貴重な映像史料といえる。1枚50円で販売中
https://assarikunn.wixsite.com/website

お目当ての和船コーナーは地下にあり、そこにTさんがボランティアとして週末に常駐。彼との出会いで、海苔舟への疑問が一気に氷解した。
昭和20年生まれのTさん、左官職だったので木工は得意。船大工の仕事ぶりも見て育った。だから、博物館ではスケールダウンした和船の模型などを制作している。
海苔舟に興味があり、富津に半分住んでいることを告げると、Tさんは開口一番、「浦安の海苔漉きは、あなたの富津とは違います。富津は海苔簾(すだれ)を挟んだ海苔漉枠を水張りした桶に沈めて、升(ます)の海苔を散らすから、桶から簾を上げれば一枚の海苔ができる。それが水漉きだけど、浦安では海苔簾を挟んだ漉枠苔を直接落としていくので、水漉きよりも短い時間で乾燥できる」と、海苔漉きの手法が異なることをまず教えてくれた。
ベガ舟について2つの疑問点をご教示いただいた。
市原歴史博物館に展示されていた海苔舟にあった謎の“金属プレート”は、「穴が空いた部分を補修するための“銅製の釘”です」と指摘。浦安での釘は頭が四角でそれなりに大きいその釘は、打ち込まれると内部で釘の爪が開く構造なのだ。

市原歴史博物館の海苔舟右舷にある“まえいた”の用途は、「海苔網を引き揚げる作業は右でやる(右利きが多い)から右にある。斜めなのは右腕の肘を置きやすいから。右腕は海水に浸け、左腕は海苔網を引き揚げる姿勢をとる」と教えてくれた。さらに、1/10縮尺のベガ舟で、差し込み式の “まえいた”外して示してくれた。
ふたつの疑問点を説明いただき、さらにTさんから和船つくりの知識を賜った。
表記は“べか舟”に軍配
市原歴史博物館では“海苔採り舟”と表記、富津の漁師は「てんま」と呼ぶが、浦安(品川でも)は「べか舟」、または「海苔採り伝馬」と呼ぶ。さまざまな文献比較で、表記は“べか舟”が妥当だろう。
べか舟とは、東京湾で海苔採集や貝採りに用いられた<1人乗りの平底舟で、船体は杉を用い、全長4.5m>が概念だ。

舟の側面はどう曲げる?
べか舟の棚板(舷側)の曲げは、「“擦り合わせ”という方法で、濡れた雑巾で棚(杉板)をこするうちに板が少しずつ曲がる。その作業は船小屋のなかで、角材で棚を固定して行います。小屋のなかで原寸大の船が出来上がる。固定した棚板をしならせ、何度も濡れ雑巾でこする。曲がりの塩梅を見ながら、曲がった棚板を水押(ミオシ=船首)に合わせて鋸(アサリ歯)で切削してアールを出す」との由。
舟釘は埋め隠す!
べか舟に限らず和船の船腹には、釘やリベットが見えない。継ぎ目は木材で埋められているからだ。その手法は?
「船には、鍛冶屋が叩いて作った強靭な舟釘を使う。舟釘は、船腹に切り欠き(空洞)を作り、その空間に打つ。切り欠きには、羽子板型の木製埋木(テーパー状なので打ち込まれると内部で拡がる)が打ち込まれる(空洞が埋まり、面一の木面化で美観向上)。まず2/3は差し込む。残り1/3はハンマーで打ち込んでゆくと、内部で楔の先が広がってしっかり食い込む。埋木は外側と内側から打ち込む。鉄の舟釘は外から見えなくなる(錆対策でもある)」とTさんから聞いた。

関連し、「棚板の目地が横方向なら、木製埋木は縦方向になるように打ち込む。縦と横が合わさる仕上げだ。埋木は、赤身(油分を含有し、腐りにくい)で目が細かい(収縮率が少ない)材を用いる。和船に用いる木材は、赤身(アカミ)を用いるのが基本。白板(シラタ)は避ける」という。
目地の細かい密な樹は、樹齢が多いので、高価な素材となる。

埋木の隙間には、この“マキハダ”を詰め込む。槙の樹皮であるマキハダは防水性がある。瓦葺の日本家屋では瓦の下にもマキハダを敷いた
べか舟の値段は?
昭和30年ごろ(公務員初任給1万円)で、およそ2万円。納期は約1週間。舟の主材料は杉材で、船大工は山師から購入した杉を天日干し(半年)してから製作。完成したベガ舟は、手入れ(水洗い・塩出し・乾燥)にもよるが4〜5年ほどでコべリ(縁)などの補修が必要となった。
海苔養殖が始まったのは江戸時代前期、品川・大森の漁民が始めた。
当時は、どんな舟だったのかなぁ。