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10月25日に『富津市民文化祭2026・子どもまつり』で、海苔漉(のりすき)体験会があった。

それを仕切っていたのが昭和18年生まれのMさん。

若いころに漁師、海苔養殖のキャリアを有し、団体職員を経て現在は海苔販売業。べが舟の生き証人であり、地元小学校にボランティアとして出向き、海苔漉を披露して郷土文化の伝道師を務めていらっしゃる。

いまから60年前、千葉・富津の浜で体験した漁師視点のMさんの証言だ。

職人技

体験会に立つMさんの前に、刻まれた生の海苔が入った桶。四角い海苔を成型する海苔簾をセットした枠。背後には乾燥中の海苔。

筆者も特別にチャレンジさせてもらったが、桶からすくった海苔を成型枠に流し込むと四角にならず、どうしてもムラが生じる。薄い部分と厚い部分ができ、時間がかかった。

「まぁ、上手にできたけどね」と褒めたあとでMさんがお手本を演じてくれた。

桶にマスを浸して引き上げ、サーっと成型枠に海苔を流し込む。ちょいと揺らして枠を引き上げる。アッという間にきれいな四角い海苔が成型枠内にできて、乾燥するために簾を干し場に。見事な流れ技。

 

富津の海苔漉は“水づけ”なので、濡れているので乾燥に時間はかかる。けれど、作業は慣れるとパッと簾に均一に拡げられる。

「簾に拡げた海苔が均一の厚さ、目方でないとダメだ。商売だからね。1枚の海苔は1匁(約3g)が目安」とMさん。

60年前の海苔作り

「子どものころから海苔のお手伝いをしたよ。学校に行く前に、海苔簾を干すのは子どもの仕事だった。

海苔つくりは、8月の夏休みに竹を遠浅の海に立てる。最初のころはシッパ(ブナ科マテバシイ)の木で、それから竹を使っていたな。

網に種づけするのは彼岸のころで、“彼岸張り”と言った。海底の砂に潜っている貝に海苔の種子がついていて、それが自然に上がってきて網につく。」小学生時代の思い出話だ。

⚫︎海苔ヒビ作業のために君津の浜から出る準備中の光景

PHOTO⚫︎『君津市漁業資料館』提供

「海苔を採るのは冬の寒い時期で、日の出とともに“てんま”(ベが舟・富津の呼称)に乗って、一本の櫂を漕いで浜のみんなが一斉に沖に向かう。富津の浜で多いときは352艘が、番人がポッポ(法螺貝)を吹き鳴らす合図と赤旗で沖出しをした。

浜に戻るときもポッポを聴いてみんなが漁をしまった。違う浜ではポッポでなく鉦(かね)だったけど赤旗は同じ。番人はお天気を観察していて“てんま”に女がいるとよ、冬に西が吹くと、てんまは浜に戻れねぇから、富士山がよ〜く見えたりすると、危ねぇから帰んなとポッポを早くに鳴らすこともあった」と、海苔漁のエピソード。

  • 富津寄りの “てんま”は、浦安や市川の海苔舟よりずんぐり幅が太め

PHOTO●『君津市漁業資料館』提供

採取した海苔は、「海苔簾の作業前に、採取した海苔を井戸水で洗ってから、包丁で刻んだ。二本の包丁刃を並べて叩いて水を張った桶に入れる。それから海苔漉きをパッパッとやる。

海苔を干すのはしっかりお天道様が顔を出してから干す。早い時間に干すとまだ霜が降りているからダメで、いい海苔にならない」という。

⚫︎右下の二艘は、Mさんの父親所有の漁船。中央で腰まで海に浸かっている人は、収穫した海苔を青海苔、黒海苔に分別作業中、青海苔は比重が軽いので浮く

PHOTO⚫︎『写真集 明治・大正・昭和 富津』国書刊行会/昭和59年刊より

メンテナンスについて、「“てんま”に穴があいたりすると、真鍮(黄銅)の頭が大きな釘を打ってから、木の楔で埋めた。自分でやった」という。昔は自転車のパンク修理は自宅でやったものだが、船の修繕も同様で、真鍮の船釘も持っていたそうだ。

 

「東京湾の海苔漁も廃れてきて、いまではディズニーランドのある浦安から富津にかけて92件の海苔業者しかいない」と、Mさんが遠い目になった。

Post Author: coppi