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深夜のラジオで、<瓦礫の中のイエス>というフレーズを聴いた。

ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、戦争が続いている。

キリスト生誕の地ベツレヘムの教会では、クリスマスを迎える待降節の飾りで普段は飼い葉桶の中に置く赤子イエスを、瓦礫の中にしたそうだ。いま、キリストが生まれるとしたら瓦礫のなかだろうとのメッセージ。

twitterでは、ガザで圧倒されている人たちの辛いつぶやきが読める。ジェノサイドのなかにあり、電気と通信の途絶えそうな状況下で、「どうかわたしたちを忘れないで」の声。人間が人間の住む街を焼き払う。

しかし、生きた人間にはみな名前があって、夢があり、実りを喜ぶ瞬間があった。それを忘れたふり、見ないふりをしてはいけない。いま、クリスマスの祝祭はとりやめても、クリスマスの祈りをやめてはいけない。

ブログに向き合う余裕がない時間を過ごしていました。11月と12月は大きな自転車レースの審判執務、パラサイクリングの人材発掘事業、孫のBMXスクール引率、そして大阪での自転車歴史に関する講演など忙しかった。その間にも、戦争のニュースがずっと届いていた。

太陽系銀河が誕生し、マグマで覆われた地球がやがて水の惑星になり、氷河期と温暖期が繰り返し、生命が宿り進化し、人は登場した。

人は集まり、家族は増え、繁栄した。弱者と強者がうまれ、小さな言い争いから憎しみが生じ、やがて大きな戦いになった繰り返しは、歴史を振り返ればたくさんある。瓦礫の中に産まれる赤子を出迎えたい。

 

 

Post Author: coppi