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“富士塚”はいくつか知ってはいたが、まさか自宅から至近に在るとは!

ご存知の人も多いだろうが富士塚は、富士山を神の宿る場所として信仰する富士講によって江戸時代後期以降に造築された。講の善男良女の浄財によるそれは富士登山が困難な人々のためにある。小高くて、溶岩と祠がある。

江戸川橋の歯科医院で治療を受けての帰路、気の向くまま裏路地を徘徊していたら住宅地の向こうに樹木があったのでハンドルを向けた。

豊島区高松の富士浅間神社境内児童公園にどっしり存在する『豊島長崎の富士塚』は高さ8m、直径約21m、表面は黒ボク石(溶岩)に覆われていた。周囲は鉄柵なので立ち入れない。

 

案内看板によれば、塚内には10ほどの碑があり最も古いのは文久2年(1862年)と刻まれている。頂上には大日如来坐像、山腹には石仏があり天狗像など約50の石造物が配され、都区内にある江戸時代の富士塚のなかでは原形を最もよく留めているとある。国指定重要有形民俗文化財に昭和54年に指定された。

確かに、よく観察すると保存状態がいい。塚に登っても周囲の二階建て建築の屋根が見えるだけだろうが、石油ショック前なら遠く富士山も眺められたはず。実はここにくる前に文京区関口の東京カテドラル聖マリア聖堂に隣接する明治時代に造築されたルルドの洞窟に立ち寄った後だったので、信仰っぽい共通項が不思議な気分‥。

 

塚の側には御神輿庫がある。居酒屋『一富士』がある。庶民に愛されている場所なんだね。

最近やっと変形性膝関節症で痛かった左足が動くようになった。神頼みってわけではないけれど、富士塚詣でができてよかったかも。

児童公園のブランコにいる老婆が問わず語りに、「私がお嫁に来て70年、ずっと同じだよ」と塚を見上げた。

今も参拝する人たちが定期的に集まっているそうだ。

Post Author: coppi