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1800年代後半のイギリスに始まる産業革命。自転車産業で築かれたアイデアから、やがてクルマやオートバイの主要部品会社が派生した。“自転車産業界の父”と呼ばれたジェームズ・スターレーは、ディファレンシャルギヤやラック&ピニオン式操舵装置の発明者だが、それらは自転車を製造する過程で誕生したものだ。

自転車が鍛冶職人の工芸品から工業製品として普及したのは1868年(明治元年)で、いわゆるダルマ自転車(ペニーファージング型)をコベントリーのマシニスト社が大量生産したアリエル型(精霊)と呼ばれるモデルがダルマ自転車の代名詞になるほど人気を博した。

ジェームズ・スターレー(1880年〜1890年)は金属スポークホイールのタンジェント組みも発明(1874年)して自転車の乗り心地を向上させた。ホイールはやがて直径50インチ(130cm)まで大きくなりスピードが出るように進化した。アリエル型は裕福な若者に人気だったが、実はジェームズは二輪よりも三輪型自転車に将来性を抱いたようだ。より高額な三輪自転車はビクトリア女王も愛用して紳士淑女に人気が出たので、三輪の生産を重視。自転車は上流階級に広く普及し、異分野の製造業者も続々と自転車産業に参入した。アリエル型自転車は80年代、イギリスの主要輸出品に育っている。

だが、ジェームズの経営に反対する強敵が現れた。

甥と叔父の確執から

対抗策で採用された変速機構

ジェームズの甥であるジョン・ケンプ・スターレー(1854年〜1901年)は叔父の会社で働いていた。しかし二輪車が有望と考えていたので、77年に独立してスターレー・アンド・サットン社を設立。最初は三輪車も製造したが、“現代自転車の始祖”セーフティー型ローバー(放浪者)を発売すると、あっというまにアリエル型は時代遅れとなってしまった。

叔父のアリエル型は前輪が大きくて当時の道路状況では転びやすく、新聞でもよく危険だと風刺された。しかしジョンのセーフティー型自転車はチェーンによる後輪駆動で安全性も速度もアリエル型をはるかに上回っていた。優雅で乗りやすく安全なローバーは大変良く売れたので、95年には社名をローバー自転車と改めたほどだ。

ジェームズは甥のローバーの人気に危機感を抱く。そこでアリエル型が速く走れるように前輪をより大きくしたり、サドルを後方に配置して前方に投げ出されにくくした。これも当時はセーフティー(安全車)と呼ばれた。さらにフレームに中空チューブ鋼管を使い、アリエル型の高級車18kgに比べレース用アリエル型は7kgまで軽量になった。とても高価だったが富裕層の子弟たちはこの危険な乗り物に熱中し、英国各地でサイクリングクラブが創立された。

ジェームズは三輪車で用いた内装ギヤをハイホイーラーに転用して人気回復を図った。ライバルは甥が生産する前後輪同径でチェーン駆動のセーフティー型であるローバーだ。三輪車用2段変速機構をアリエル型に組み込んだ小径のは「ドワーフ」(小型)と呼ばれた。写真は1885年、アリエル型の復権を狙って倍速機構をクランク部に組み込んだ「カンガルー」である。

イギリスではシングルギヤのローバー以外にも多くの会社が自転車製造に参入。セーフティー型に変速機構をつけた自転車も登場したが、雨が多いイギリスではドロ詰まりがしやすく、スソが汚れるのでまったく人気がでなかった。重い変速機付き自転車よりも、イギリスではチェーンが覆われたシングルギヤの自転車が好まれたものだ。1888年にダンロップが空気入りタイヤを発売してからは、乗り心地の良い後輪駆動のセーフティー型が市場を席捲していった。

馬車の車輪を用いてつくられたソリッドゴムの3輪車とアニエル型はやがて時代遅れになった。しかしその技術はクルマの発展に寄与していった。

 

Post Author: coppi