日本では自転車ロードレース、肩身の狭いカンジですね。
上写真は明治時代の自転車レース。河川敷の管理道路か、場所は不明。
クルマ優先の道路、地元住人の生活優先である道路。公道でのサイクルロードレースは警察からなかなか道路占有の使用許可が出にくい。とはいえ東京でも5月には例年、神宮外苑の周回道路を占有して学連クリテリウム、大井埠頭などの湾岸地区を中心に占有してのツアー・オブ・ジャパン東京ステージは前例として許可されている。
でもマラソンはずっと規模・開催数が多い。メジャースポーツとして社会的認知が高いからだ。社会的要請が高ければスポーツ以外では町内会のお祭りで神輿や山車が昼間に道路を部分的に占有して練り歩き、インフラ整備であれば道路占有して夜間に道路を掘っては埋め戻す。
日本自転車競技連盟(JCF)が2005年3月に出版した『あゆみ』という記念誌に歴代ロードレースとして記載されたエポックメーキングな大会をチェック。
1905年(明治38年)『九州一周・千哩競争』(九州日日新聞主催)。
1907年(明治40年)『一千哩道路競争・大阪〜日光往復』。
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1915年(大正4年)『第2回極東選手権大会15哩自転車競争』(中国地方)。
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1917年(大正6年)『第3回極東選手権大会20哩自転車競争』(東京)。
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1931年(昭和6年)『西日本府県対抗自転車競技選手権大会:大阪〜鹿児島1000km』(大阪毎日新聞社主催)。
『第1回全大阪サイクル選手権大会』(全日本アマチュア選手権大会の前身)。
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1932年(昭和7年)『第2回西日本サイクル選手権大会』(全大阪サイクル選手権大会から改称)。
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1934年(昭和9年)『第4回全日本サイクル選手権大会』(西日本サイクル選手権大会から改称)。
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1946年(昭和21年)『国民体育大会・自転車競技』採用。
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1958年(昭和33年)『アジア大会』(東京でトラックは後楽園、ロードは八王子)。
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1982年(昭和57年)『国際サイクルロードレース』(1996年からTOJに改称)。
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1987年(昭和62年)『ツール・ド・北海道』(UCI的ステージレース)。
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1989年(平成元年)『ツール・ド・おきなわ』初開催。
以上の13大会。JCFあゆみ史観では上記になる。
第二次大戦より昔は、距離の長い自転車ロードレースがあったという事実。明治・大正期は単位がマイルだったのも興味深い。
戦後から国体に自転車競技が採用されたので47都道府県の全てで公道占有のロードレースはあった。だが戦後、スポーツとして自転車ロードレースが認知されるのはまだ先であった。
社会的認知は80年代半ばにNHKがツール・ド・フランスの放映権を得て主にBS1中継が契機で一気にスポーツとしての認知度アップ。90年代から00年代が黄金期であり、市民レース(JCF未登録)も全国各地でイベントとして花開いた。
それでも道路使用許可を得てのレースはハードルが高く、郊外や公園などで早朝開催というのが一般的だった。自転車イベントは2010年代から下火になっている。
黄金期は郊外の一般道路を占有してのレースもあったが、市民レースで道路占有するのはヒルクライムが多くなった。参加者は密集して走らずに済むので怖くないし、運営上では表向きの事故が少なくていいからだ。