エディ・メルクスが活躍した時代、僕は自転車レースに夢中でした。
FAEMA時代(1968〜1970年)のメルクスは、塗装がホワイトに胴抜きレッドのフレーム。
当時、目白・千歳橋にあった安全自転車で初めてロードフレームをオーダーし、迷わずメルクスと同じ塗装に仕上げてもらった。

Molteni時代のメルクス。サポートカーはPeugeot 504 Break
これを書くきっかけは、イタリア公共放送局RAI制作『王様の仕立て屋』(Itere sarti del Re)という映画の日本語字幕校正をお手伝いしたから。
エディ・メルクスのレースを縦軸に、彼のために自転車を供給した3人の自転車職人、ファリエーロ・マージ、エルネスト・コルナゴ、ウーゴ・デローザのインタビューを横軸にし、テーラーメイドの自転車仕立て人の歩みを描いた映画です。
メルクスは1965年にデビューし、1978年に引退。スチールフレームの黄金時代。そして、サポートカーも魅力的でした。FAEMAサポートカーも赤と白を基調とし塗装で主にFIAT社提供のモデルで、自転車はリヤトランク上の特別製キャリヤに搭載。急勾配の峠では大きく開けたルーフからメカニックが予備自転車を担いで半身を乗り出し、エース選手のパンクに備えた。峠の沿道にはファンが詰めかけ、ドライバーは連続的にクラクションを鳴らし続けた。峠道は超カオス!!

上の路肩に停まっているのは観客のVolkswagen Tyoe2。右の審判車はFiat128
1970年前後の Giroでは、小型で取り回しが良く、狭い山岳路でも使える、修理しやすいという理由で、Fiat系小型車が大量投入されていた。それらは前述のように屋根から審判やカメラマンが身を乗り出せるよう、レース運営用に「サンルーフを大きく開けた車両」が使われました。

審判車はFiat125。右写真の丸っぽい車両はFiat600系、またはVolkswagen Beetleだろう
1971年頃から西欧市場で404 Breakの後継としてPeugeot 504 Breakが投入され、プロレースのサポートカーでも急速に置き換えられていきました。現代のように自動車メーカーが主催者と包括契約を結び独占的にレース隊列に自社車両を走らせるのではなく、当時は各チームや主催者が、レースに使う車両を地元ディーラーなどから調達したので、宣伝のためにプジョーがイタリアのレースで採用されたのでしょう。この時代、イタリアのほぼ全世帯にTV受像機が普及し、テレビ放映のあるスポーツ番組は宣伝効果が高かったので車両調達しやすかったとか。しかし、報道関係者はマイカーでレース取材に出かけました。

右はPeugeot 404 Breakで縦テールライト、他の横テールライトは新型Peugeot 504 Break
Peugeot 404/504 Break は、荒れた山岳路に強い、積載量が大きい、サスペンションが柔らかい、信頼性が高いので、欧州レースの “定番チームカー”でした。1960〜70年代の欧州ロードレースでは、Citroën DS Break は非常に有名なサポートカー/コミッセールカーでした。ハイドロニューマチックサスペンションで乗り心地が抜群、荒れた山道でも高速巡航できる、車高調整が可能、長距離移動が楽、ブレーキ性能が高いためです。

このメカニックかーはVolkswagen Type2、もしくはVolkswagen Transporter T2aだろう
70年代中期のイタリアの自転車レース(特に Giro)では、VWバスやフィアットの商用車もチームサポートカーとしてよく使われました。
現代のクルマは電子制御のデジタル(自転車も人間工学的アプローチでの開発〜)で、高性能で利便性が高いけれど、好きじゃない。
メルクスが引退して、古き佳き時代の幕が降りました。
画像引用:©️ Rai.『SpetialRADIOCORSA』