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素敵なラブストーリーでした。

第二の故郷である房総半島、そこに伝わるエピソードの創作舞踏を鑑賞しました。

弟橘媛、 “オトタチバナヒメと”読む。

ヒメの彼氏はヤマトタケル、そう、日本武尊なのです。古事記・日本書紀に登場する伝承。

ご存知のように古事記・日本書紀は、日本の始まりを描き、政治的な正当性を示すための歴史書であり、神話的なファンタジーが入り混じっている文書といわれています。

脱線しますが、1969年に山下洋輔トリオが、“Dancing古事記”というアルバムを出していましたね。若いころ、JAZZも、アングラ劇も好きでした。

で、6月28日に千葉・木更津の八剱八幡神社での特別公演『弟橘媛』を鑑賞して、改めてヒメの女ゴコロ・情念に感動したんです。

演じた役者は、伝統芸能集団「伎音戯座(わざおぎざ)」を主宰する技音戯無文(音羽菊君:おとわ きくこう)と、技音戯律与(わざおぎ りつよ)の二人。その踊りに、パーカッションと尺八がライブ演奏で絡む。

当日は満員御礼。上演中は撮影禁止ですが‥‥

舞踏における役者の語り口、所作は素晴らしかった。特に技音戯律与の歌舞伎舞踏<文売り>はお見事。ただ、舞台照明が一貫して強過ぎたように思う。場面によってディフィーズすると、演者の表情や踊りの動きに変化を与えられたのではないか。

日本武尊の東征は、父・景行天皇の命で東国の蝦夷(えみし)を平定するエピソードで、古代日本の英雄譚です。その過程で、相模(神奈川)から上総(千葉)に海路で向かうときに悲劇が起きる。

走水の海は荒れていた。カレは、「こんな小さな海など跳んで渡れよう」と、海を侮る発言をしたので海神が怒り、暴風雨になった。たちまち軍勢の船は危機に陥った。巫女の立場で同行していたカノジョは舳先で儀式を行ない、「私が身代わりになりましょう」と言い残して荒れ狂う海に身を投げると、海は静まった。舞踏『弟橘媛』のクライマックス。カレの東征に従った末の自己犠牲で海に沈みゆくカノジョは、カレの複数の妻たちにマウントをとった喜びに満ちていた、というお話に仕上げられています。女の情念、死を超越。

カレは投身するカノジョに「行くな!!」と手を伸ばして“袖”を握った。袖は破れて波間を漂った。

僕の住む富津は、弟橘媛の着ていた布(衣)が流れ着いた場所で、その布を里人が埋めて祀ったことから地名が“布流津(ふるつ)”となり、やがて“富津”という地名になった。

袖ヶ浦は、弟橘媛の“袖”が海岸に流れ着いたという言い伝えから地名になった。

富津・大貫海岸にも、弟橘媛の石像あり!

木更津・君津は、荒れ狂う海に入水したカノジョを想ってしばらく滞在し、「君去らず(きさらず)」と詠んだ歌が転訛して地名になった。

富津、木更津、君津、袖ヶ浦の地名は弟橘媛に由来し、各地に寺社が在る。関連して、祈祷で用いた鏡、または入水時に身につけていた櫛、または漂着した遺品を馬が咥えて近くの山に一気に駆け上った伝承などが多く残っている。

 

それにしても舞踏『弟橘媛』は約2時間の公演で、なんとその半分は舞踏ではなく、原作者の語りで、著書の紹介をしながら弟橘媛が、富津・木更津・袖ヶ浦などに縁があることを延々と教えてくれた。テーマを理解するために説明してくれる親切心だろうと理解したい。「日本武尊の東征」と「弟橘媛の入水」のエピソードを知らない人には、その後の舞踏を理解するうえで有用だったと思う。

原作者の露木清美さん、「私は70歳から弟橘媛をテーマに調べ始めた。各地に足を運び現地取材し、古文書にあたり、これは実際にあったこと」と主張する。そして、「ぜひ、次は阿久留王も含めた舞踏劇を東京で公演」と結んだ。意欲的です。

しかし、もしも自分がこの舞踏イベントの構成者なら、原作者の露木清美さんの出番は一切削り、ナレーターに伝承を流暢に語らせたい。

そうすれば、観客に舞踏のストーリーが素直にわかるはずです。

Post Author: coppi