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「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

僕の好きな句です。前にも書いていますが。

この言葉は室町時代の僧、一休宗純が書いた「正月(の門松)は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり めでたくもなし」で、正月を迎えるのはまたひとつ歳をとる訳で、確実に死に近づいていることを示唆している。

で、旧正月にちかい某日、富津岬をポタリング中に鳥の白く固まったフンで文字が読めない石碑に遭遇して、「冥土」の文字だけ読めたので全文を知りたくなり、お寺に断りをいれて参拝用の手桶とタワシを拝借して洗いはじめました。一心に作業をしていると、小柄な姐御に声をかけられました。「エライね」と。いえ、興味本位なんですけれどね。

浄土宗・大乗寺の山門、陽だまりでゆるりゆるり、今年85歳の姐御に教えていただいた漁師の話。

3回ほど手桶の水換えをし、墨をするように作業していると、硯ならぬ石碑の書が判読できるようになった。

『ああ、悲し 長くこの世に 

泣きにきて 

 冥土の旅につくの 

嬉しや』

「これは33番の念仏にあったなぁ」と姐御がのたまう。

子どものころ、昼間は漁師、夜なべ仕事をする親の傍で、お手伝いのひとつに念仏を唱えたそうです。いくつも帳面があり33番に似たものがあったそう。

お念仏は、“組”(近隣の集まり)の仲間でも親方が先唱してみんなが唱え、檀家の子どもが集まって7歳くらいからお寺でもお坊さんと唱えたそう。

問わず語りで、太平洋戦争直後に嫁入りして自動車免許を持っていたが最近もらい事故がきっかけで免除返納して、いまは電動自転車に乗っている。自転車の方が健康にいい。だから不便はない。嫁たちが働きに出ているので晴れていれば布団干しに行ってやる。漁師だった旦那さんの墓は毎日通っている。姐御は穏やかに語ります。

この世との縁が尽きれば阿弥陀如来の本願力によって極楽浄土に生まれる、という浄土宗の教えに、『冥土の旅につくの 嬉しや』はハマるわけですね。

墓碑がきれいになって、姐御から呼ばれて元海苔工場の倉庫に行くと冷凍のデカい魚をプレゼントされた。

「出世魚だよ、小さいとフッコで、こればスズキ。解凍して食べな。」

刻んだ生姜に醤油と砂糖を煮立てた煮汁に、解凍したスズキの胴切り塊を投入して転がすように火を通す。

「煮汁は沸騰させるだよ。必ずだよ」と、強く教えられた手順を守り完成。

美味い! 姐御のレシピ、ありがたい伝承。ありがたや。

Post Author: coppi