Site Loader

日本に自転車が伝来したのは江戸時代、福井藩霊岸島の江戸屋敷で大名である松平慶永(春獄)公が日本人で初めて乗ったというのが定説。文久2年(1862年)2月のことで、屋敷は中央区新川にありました。

上の三輪車(TRICYCLE)は明治6(1873)~8年(1875年)の間に撮影されました。

この写真は元イタリア大使が撮りためた幕末・明治の古い写真を収蔵する日本カメラ博物館(JCII)が図録『建物にみる江戸 東京』で一冊にまとめて、そこに収録されています。

明治6~8年の間と特定されるのは、芝増上寺の三解脱門の改修工事があったタイミングで撮影されていたからです。すでに明治初期、東京では貸し自転車に乗る遊びが先端を気取る人にウケていたそうですが、いきなり二輪車(BICYCLE)を乗りこなすことは難しい。

ここに写っている自転車はおそらく貸し自転車でしょう。だから、誰でもとりあえず乗れる三輪車であり、フレームなど鉄の部分はは鍛冶屋が、車輪は大八車などの技術を応用して作られたのでしょう。タイヤも鉄をベルト状に伸ばして取り付けられています。制動装置はあったのかなぁ?

松平春獄公が乗ったにも三輪車のはず。

ちなみに明治10年(1877年)に神奈川の彫刻職人である竹内寅次郎が木製三輪車を自作してそれを“自転車”と命名したそうです。明治から大正の時代に作られたメイド・イン・ジャパンの自転車作りでは梶野仁之助が第一人者ですが、その弟子たちが関西方面など各地で自分の自転車作りを始めました。

埼玉・越谷には明治20年ごろの三輪車がとてもよい保存状態であります。ちなみに明治30年ごろ、国産自転車は50~100円、舶来自転車は80~200円。貸自転車は1時間30銭だったとか。

越谷の三輪車、次の機会にご紹介します。

Post Author: coppi