Site Loader

桜吹雪の散歩道で、町内会の案内に目が留まった。

今日じゃないか。行こうかな、と出かけたのが“4・13根津山小さな追悼集会”だ。案内に印刷された3枚の写真が、春爛漫な今日と隔絶されたものだった。

『城北大空襲』という語を初めて知った。第二次大戦中の東京大空襲では1945年(昭和20年)3月10日の夜間に行われた下町空襲が知られている。この3月10日の空襲だけで罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。その後に行われた豊島区・池袋周辺で夜間に実施された4月13日の城北大空襲も、案内に印刷された3枚の写真を見る実に偲びない。

実際に被災された当事者が、南池袋公園の会場で証言してくれた。

会場は南池袋公園の芝生広場の一角。追悼会場の200席ほどの折り畳み椅子に座る参列者は高齢者が多いが、芝生広場は子ども連れの親子、若いカップルが和んでいた。4・13根津山小さな追悼集会の幟旗を指さして語り合う若い人もいた。

城北大空襲では16万人が被災し、778人が現在の池袋駅東口に近い雑木林で借り埋葬された。その事実が20年ほど前に地下鉄工事の際にたくさんの白骨が出土したことで蘇り、この“4・13根津山小さな追悼集会”につながった。

79年前の城北大空襲の記憶が、21世紀の南池袋公園で語り継がれていた。

キリスト教の牧師と、仏教の僧侶が祈りを捧げ、参列者が献花。青い空のしたで、僕はガザでの爆撃ジェノサイド(大量虐殺)を想い、ウクライナとロシアの戦争にも想いを馳せた。3月26日は国連人権理事からパレスチナ自治区の特別報告者に任命されたフランチェスカ・アルバネーゼ氏が、イスラエルによるガザでの軍事作戦はジェノサイドに相当するとの見解を示していた。

終わりのない人類の戦いへの衝動。

傷ついた人たちの癒されない心。

救われません。

Post Author: coppi