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ロンドンでドライジーネを広めた立役者は、ブルワーストリートの馬車製造業であるイギリス人のデニス・ジョンソン。彼は1818年12月にドライス男爵の特許を取得して「ホビーホース」(HOBBY HORSE)を作った。1819年には長いドレスでも跨らないで乗れる女性用も発表。首回りを詰んだロングドレスは当時の上流女性が昼間に着用する服装の傾向だが、イラスト女性のスカートはやや短めで脚がのぞき手首も出ている。

鉄製のホビーホースは、ビームの中央が湾曲して足つき性が向上、フロントフォークや2つの車輪を支える支えも金属で、丈夫さと軽さを追求した。1819年、ジョンソンはロング・エーカー通りの工場近くに敷地75エーカーの自転車学校を設けて人気を集めた。工場では1週間に20台のホビーホースを生産して8ポンドで販売。流行に敏感な貴族階級の若者がまず飛びつき、女性も新しいスポーツを学んだ。

ジョンソンのホビーホースは改良を重ねて、グリップを備えたハンドルが付いた。金属の管が舵取りする前輪軸を支え、より正確な操舵が可能になった。路面のいい道では時速16kmを出したと新聞記事が書き、ホビーホースに乗る人間とロバのスピード競争も話題を集めた(初めは人間が勝ったが16km地点でロバに抜かれた)。

鉄の馬は速くはあったが、イギリスでもアメリカでも、危険な乗り物との批判も多かった。

イラスト:「オランダの自転車風俗画」ニューサイクリング1966年Vol.4より引用(元資料:©️1949:Lemet.Hilversum.Holland)

参考文献:「50のアイテムで知る図説 自転車の歴史」原書房刊、「19世紀イギリス自転車事情」共和国刊

 

Post Author: coppi