日本は第二次大戦で連合軍に敗れて1945年8月14日にポツダム宣言を受諾し9月2日に降伏文書に署名した。大都市は爆撃で焼け野原となったが、どっこい自転車好きの情熱は負けていなかった。今回はSPEED-X。
以下、連載「変速機を愛した男たち・11話と12話」からの引用。
昭和20年代の日本は資源統制で満足な自転車生産はできず、新興国向けの細々とした輸出が精々だった。
外装変速機はすでに1947年(昭和22年)三光舎が発売していた。日本の初期サイクリングクラブ組織であるNCTCでは1949年(昭和24年)にSPEED-X製作をした。それは英国シクロとトリヴェロックスを参考に、スポーツ車用と実用車用の2種類を製造。少量ながらも日米商会で販売された。
SPEED-Xの特許出願は三光舎と同様に1947年で、出願人考案者はNCTCメンバーの斎藤貞次だ。齋藤製作所は斎藤貞次氏の実家である。
サイクリングクラブの熱い情熱で作られたSPEED-Xだったが、高価でスプロケットの歯先形状が悪いためか性能もいまひとつで販売は芳しくなく、NCTCによる最初の変速機は失敗に終わった。だが、NCTCには逸材がいた。彼がその後、日本の変速機だけでなくスポーツサイクルの発展に寄与するエピソードはこのシリース最後に触れる。
三光舎のヘリコイド式変速機とNCTCのSPEED-Xは、形となったのはほぼ同時期であるようだが、製品としては三光舎が先んじていた。
写真のSPEED-XはCAMBIO工房の所蔵品。
Special Thanks●六城雅敦